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#2004 光洋中学校体育祭・根室高校学校祭 July 8, 2012 [87.根室の話題]

 根室高校は6日の合唱コンクール、七夕のクラス対抗パフォーマンス、そして今日(日曜日)は校内での一般公開日。まあ楽しくやっていたのだろう。

 来客があったので、終わりのほうだけ母校の体育祭を見た。柏陵中学校も啓雲中学校も今日体育祭だ。
 気温は15度だが、風がほとんどなかったので寒くない。テントを設営して中から見ている人が一組あっただけ。例年は毛布を身体にかけて寒さを避けながらみている人が三分の一ほどいるのだが、今日はそんな人はいない。15度でも暖かいほうだ。

 スウェーデンリレーというのをやっていた。第一走者が100m、次のランナーが200m、3番目が300m、アンカーが400mという変則距離のリレーである。
 3年生は人数が多く3クラスある、それに先生が1組チームを組んで一緒に競った。先生のチームは最初と2番目が断然速かった、3番目の教頭先生も短パン姿で300mを走りきっていたが、4番目の先生は半分走らないうちにがくんとスピードが落ち、生徒に抜かれた。距離が長くなると生徒にかなわない。
 閉会式をはじめるのに全員グラウンドに整列するまで10分ほどかかった。1年生が2クラス、2年と3年生が3クラス、全部で8クラス250名ほどだ。
 団塊世代のころの光洋中学校の生徒数は、ひとつ上が9クラス495人、私たちが10クラスで550人、下の学年が9クラスの495人だったから、1500人を少し超えていたのだろう。グランドに整列すると空きスペースがなかった。次の競技をやる学年はグラウンドの横の草地で待機し、手際よくやらないと人数が多いから時間がかかる。生徒たちもなれたもので、「交通整理」の役がいて処理していた。こういうことを通じて集団行動に慣れていたのかもしれない。
 体育祭を見ている父兄や小学生の数は5年前に比べてずいぶん減っている。生徒の数が3割近くも減少しているから見物する保護者や兄弟姉妹の数も減っているのだろう。グラウンドの中の見物席はけっこう隙間があった。

 4時過ぎてから、ロードバイクに乗って牧の内の10㌔コースを走ってきた。校門の近くで塾生とすれ違ったので「こんにちわ」と声をかけたが「こんにちわ」と返事は返ってきたが怪訝か表情をしていた。ヘルメットをつけてサイクルパンツをはいていたからわからなかったようだ。
 風がないと走りやすい。初夏の原野の緑は若々しいそしてどこまで走ってもウグイスのさえずりが聞こえる。一定間隔で縄張りがあるのだろう。走っている目の前を低く小鳥が横切った。

  学校前を走ったときにカップルが歩道の柵のところで話し込んでいた・・・もどってきたときにもそのまま。公園でも制服姿の別のカップルが薄暮の中で・・・学校祭は恋の季節でもある。

 明治公園で行われた根高学校祭クラス対抗パフォーマンスの3Cの源氏物語を思い出した。
 光源氏が4歳年上の正妻葵上(16歳)を娶るのは12歳で元服してすぐのこと、帝の后である藤壺の閨にしのんでいくのは18歳のおりで、藤壺は光源氏の子を宿し産む。生まれてきた子は光源氏にそっくりであるにも関わらず帝は騒がずわが子として愛でる。それで周りがすべてうまくいく、帝は大人、心が広い。帝の度量が大きいと世の中は平穏。帝ばかりではない、庶民もおおらかだ。古典を読み日本人の伝統的な価値観を知ろう。
 HLA検査という血液検査がある。白血球の血型の検査で、7つの遺伝子座があり、その各々が10~30くらいのタイプに分かれる。免疫拒絶反応を小さくするためにHLAタイプが一致していることが臓器移植や骨髄移植の前提である。そのほかに米国ではDNA検査が導入される前まで親子鑑定に使われていた。日本で親子鑑定にHLA検査が使われたことはほとんどなかった。育てれば自分の子供というのが平安時代よりずっと昔から、日本人の共通の価値観。この点だけはいまでも受け継がれているようだ。

 変わってしまったものと変わらないものがある。平安時代と比べると日本人はずいぶんと幼児化している。恋とセックスに関してははるかに退化してしまったかわいそうな現代の高校生たち。古典文学や昔話をたくさん読んでそっちの方面も勉強しろ。幸い日本には世界にも稀なほどたくさんの名品が残されている。

 林望が第2巻の月報に次のように書いている。
「そういえば「夕顔」にも六条御息所の許に一夜を過ごした源氏が、「ねぶたげなるけしきに、うち嘆きつつ出でたまふを」というところがある。まだここで一緒に寝ていたい、帰るのが辛い、とそういう未練を残し帰っていくのが「よい男」なのである。すると、御息所は「御頭(みぐし)をもたげて見いだしたまへり」とある。
 これも前夜の閨の睦言の名残で、御息所が起きられないのである。『源氏物語』では、こういう風に、露骨には書かないけれど、ただこういう叙述をするだけで、みんなが、さぞ濃厚な一夜が過ごされたのだろうと、当然に想像したのである。露骨に書くより、もっとエロティックだろうと言わねばならぬ。」
 「夕顔」の巻の源氏は高校生諸君の年齢、17歳の夏から秋のことである。

 もどってきたらカッコーが家の近くでさえずっていた、"カッコー(祭)・・・カッコー(祭)・・・"とのんびり聞こえた。根室の初夏は全国一涼しい。

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