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#1857 塾の選び方:松下村塾と松下政経塾  Feb. 26, 2012 [64. 教育問題]

 民主党政調会長の前原誠司氏が産経新聞が自分の悪口を書き立てると憤って、記者会見場から退出。その後別の部屋を用意し、産経新聞記者を締め出して記者会見を行った。小学生のような精神性が垣間見える。
  この人は京大を卒業した後、松下政経塾入りして働いた経験がない。普通の男は大学を卒業した後働いた経験をもっている。いいやつばかりではない、働けば、同じセクションに嫌いな人物がいても一緒に仕事をしなくてはならぬし、たとえそいつが他の場所で自分の悪口を言いふらしても同じレベルでこちらも反応してはならぬ。まるで仕事のできぬとんでもない上司だっている。自分はそうならぬように勉強だと固く心に言い聞かせる。世の中が不条理にみちていることを、ぺいぺいのときに思い知らされることで辛抱力を心中にしっかり育てることができる。渾身の力で仕事を続けるうちに味方がたくさんできるものだ。

 前原誠司氏にはそういう仕事の季節がなかった。

【人生には四つの季節がある】
 わたしは人生を三つの季節に分けてきた。勉学・仕事・社会貢献の三つの季節である。昨年夏に母を亡くしたが、認知症になって徘徊がはじまった母の介護を通じて、人生にはもう一つの季節のあることを思い知らされた。第四の季節は人のお世話にならないと生きていけないものであった。人生は結局最後は幼子に戻り、食事も排泄も自分の思うようにはならないもの。徘徊が始まって半年ほど女房が世話をしてくれたが、わたしも精も根も尽き果て、たまたま空きができたグループホームに1年半ほど、脳梗塞を起こして食事ができなくなってからは、半年間精神科の病院のお世話になった。市立病院に療養型病床がないのはまことに困る。地元で死にたいと思う年寄りは多いがその願いをかなえてやることが難しくなる。これからたくさんの認知症高齢者とその介護家族が困ることになる。根室の高齢化率は27%を超え、老人人口は8千人に迫っている。
 認知症を起こした年寄りを介護するのは、介護する側も命を削ることになる。夜中にベッドからでて転倒していたら、それが冬なら朝になれば低体温で死んでいるだろう。昼夜の区別がつかなくなり、真夜中に大なべにいっぱいグザイを入れて味噌汁を作ってしまうこともある。ほとんど溢れそうなくらいだから、吹き零れてガスが消えればガス漏れが朝まで続く。そこへ冷蔵庫のスイッチが入れば一巻の終わりなのである。
 台所と仏間にカギをつけ、夜中は母を閉じ込めた。トイレはそのカギの内側だから自由に行ける。
 夜中に物音がすれば二階から降りていって、階下の母がベッドから出て、転倒していないか確認しなければならぬ。倒れたままになって起き上がれないことがあるからだ。眠れない夜が幾夜も続きしだいに疲れが極限に向かう。精神的にもイライラがつのる。根室にはショートスティ施設が少ない。一度だけ預けたが、状態が悪化したので、2度目はなかった。わたしが常務理事をしていた療養型の病院では総婦長が「縛らない看護」をくどいほど看護師やヘルパーさんたちに説明し、病棟を巡回してチェックしていた。手間がかかるから拘束をしたくなるのである。療養型病床でない施設ではある程度拘束をしないと面倒を見切れないという人的な配置の問題もありそうだ。そういうことも調べずに療養型病床が病院ではない施設で代替できるなどと思い込む市長がいる。少しは本も読め、近いのだから現状をみたらいい。暇もないのなら知っている人に訊けばいい。
 さて、認知症が出て徘徊が始まって半年ぐらいたち、自宅介護が限界に来ていたからグループホームがたまたま空いたのはありがたかった。市役所の担当の方から電話があった。「北浜町のグループホームに空きが出ました、お入りになりますか?」。翌日、入居させてもらった。
 姉妹たちの頼みで根室でケアしてほしいとの願いがずっと以前からあった、最後は自分たちで看取りたいという希望をわたしが根室に戻る前から聞いていた。首都圏の療養型病院の建て替えをやったから、そこならいつでも入れられたが、"あえなくなる"と姉と妹。母は地元で最後を迎えたい、親族は地元で看取りたいというのが普通の感情だろう。
 新しくなる市立根室病院に療養型病棟はない。根室には1ベッドもない。根室市の地域医療政策はまちがっている。これからたくさんの老人と介護する家族が困ることになるだろう。4年前に隣保院が閉院するまでこのマチには療養型が75ベッドあった。

【仕事の季節をもたぬ人生の危うさ:幼児性】
 前原誠司氏は不幸にして仕事の季節を体験しなかった。だから、普通の大人が仕事の季節に培う辛抱力がない。公職にあるのだからそのことは自覚すべきだろう。
 厄介なのはみえっぱりでもあることだ。民主党党首を短い間やったことがあるが、そのときに父親の職について詐称問題が起きた。ネットで検索すればすぐにわかるから、ここには書かない。
 やはり仕事の季節をもたなかったことが災いして党首の座を降りざるを得ないという事件が起きた。ライブドア事件堀江メール問題である。元の情報の真偽を確認するのは仕事の基本であるが、それをスルーした。結果はガセネタ、引っ掛かってしまったのである。これもじつに幼稚。本人はちっとも自分の幼児性を自覚していないように見える。
 仕事で重要な局面である情報が入ったら、それが局面に与える影響が大きければ大きいほど、まったく別ルートでその情報の真偽を確認するのが仕事の基本である。わたしは東京で29年間のサラリーマン時代に何度か重要な局面でそうしてきた。

【松下政経塾と松下村塾】
 現総理大臣の野田佳彦氏も松下政経塾出身者である。民主党にはこの塾の出身者が多いが、おしなべておどろくほど仕事ができぬ。やらぬことはできぬのが道理。松下政経塾で二十代後半あるいは30代前半を過ごし、男が仕事に責任をもたされる30代に仕事の経験がない。なければ謙虚に仕事のできる者たちを自分の周辺に置けばいいのだが、我が強く自分の弱点をカバーできぬのがこの者たちに共通した性格。
 松下政経塾は松下幸之助が創始した人財育成塾だが、かれはお金を出しただけで、塾長として教えていたわけではない。塾の良し悪しは塾長で決まるものだ。吉田松陰の松下村塾はたった50人ほどの私塾であったが、明治維新を支える人材を輩出した。それは塾長であった吉田松陰の言説と生き方に負う所が大きい。
 こうしてみると、松下幸之助が教えていたわけではない松下政経塾から人材が輩出するわけがないのは当たり前の事(私塾というよりは一つの人材育成システムに過ぎないのだろうと思う)。

【塾は塾長次第】
 私塾は塾長で選べ。松下幸之助が教えない松下政経塾はゴミと見破る眼力をもつべきだった。マスコミに踊らされて入塾希望者が殺到したが、結果は見ての通りだ。
 講師陣に有名人が顔を並べたって意味がない。大阪でもまた新たな塾ができ、有名人が講師に居並ぶようだが、講師に依存するようでは先が知れている、橋下維新塾なのだから。昔も今も塾は塾長次第である。

【春、塾選びの季節】
 さて、わが町も4月からの新入生募集の私塾の折込チラシがはいる時期になった。毎年はやくなり、ついに2月から囲い込みの様相を呈してきた。
 ゴーイング・マイウェイ、ニムオロ塾は例年通り3月9日にチラシを入れる予定だ。新中1だけは8人までOKだ。あとは各学年数人程度しか空きがない。昨日、父兄のお一人から「他の塾はチラシが入りましたが、ニムオロ塾は募集しないのですか」とお叱りをいただいた。繰り返すが、例年通りチラシも入れるし、説明会も2日間開きます。だが、ほとんど来ている生徒のやその親たちの口コミ。
 根室には塾が足りないようにみえる。児童・生徒数の減少と私塾が足りない現象の並存、一体どういうわけ?それなりの理由があるのだろう。
 10年前に比べれば1学年の生徒数は百人前後も減り、いまや220~280人だ。10年間で3割弱の減少だから、生徒数の大きい塾ほど影響が大きいということだろう。学校法人の幼稚園が園内で学習塾をやっっているから、卒園後そのままそこの塾生になるケースが増えて影響が大きくなっているのだろう。同級生が責任者のようだ。
 幼稚園だって保育所だって生徒は激減しているから、もう市内に3幼稚園体制はムリなのかもしれない。市の保育所は児童減少で閉鎖が相次ぐ。

 吉田松陰の言葉に「野にして粗なれど卑に非ず」というのがあり、わたしは大好きだ。人間粗野であってもいいが、「卑しく」あってはいけないと戒めている。
 根室の経済人には自分の利益を第一に考える視野の狭い者が多い、市政と癒着のしすぎだ。こうした旧弊を打ち破れる者、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」で誰にも頼らず自力で自分の仕事をまっとうできる人材をこの地に育てるのがニムオロ塾開塾の目的。基礎学力のない者には個別指導で基礎学力の充実を、成績上位層の者には専門学校(簿記)や大学レベル(ジャパンタイムズをテキストにした時事英語)の授業が提供できる市内唯一の塾。
 松下村塾と規模(生徒数)は一緒だ。塾長一人でみられる範囲はこんな程度、講師を雇って生徒数を増やすつもりはない。
 いろいろな方針の塾があることは生徒にとっても古里の町にとってもいいことである。よい私塾があれば、30年後の根室はそこで育った子供たちが創るから、必ずよくなる。よい塾がなければ、いつでも自分の利益を優先しマチの衰退に目をつぶり意見を言わぬ40代となり、30年後もまた衰退を続けるしかない
(塾になんぞ通わずともきちんとした人間になるには何の不足もないことも事実だ。わたしが通ったのは学習塾ではなく高橋珠算塾だった。3桁の加減算が暗算でできることが経営企画・管理部門で仕事したときにとても役に立った。)
 いま、健全な批判ができるモノ言う40代が根室に何人いるだろうか?残念だが限りなくゼロに近い、これが現実。人としてのあり方を授業の合間に繰り返し語る塾があればこういうことにはならなかったのかもしれぬ。
 つねにいまが勝負、根室の30年後はいま造っている。腰折れして旧弊を受け継ぐ者となるなかれ、大人になったら旧弊を破る者となれ。

 塾は塾長で選べというのがebisuの意見。学識で選ぶもよし、教え方で選ぶもよし、生き方で選ぶもよし、人柄で選ぶもよし、言説で選ぶもよし、後姿で選ぶもよし。基準は様々、だからいろいろなタイプの塾がこのマチには必要。
 何ごとにも旬というものがあるから、鉄は熱い(小・中・高生)うちに鍛えるべし。広い教養(学力)とまっすぐな心をあわせもち、古里を担える人材になれ。

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