#1758 教育再考 根室の未来第 シリーズ4部⑤:新聞活用(北海道新聞) Dec. 1, 2011 [64. 教育問題]
気温は午後9時半マイナス2.5度だった。根室高校は後期中間テストの真っ最中である。このところ毎日来ている生徒のうち二人が居残りで明日の数学の試験勉強をしているので付き合った。わかっていたようでわかっていなかったところをいくつか見つけて熱心に質問をしてくる。こうした時間はうれしいものだ。終わり頃になって、
「やっぱり普段の勉強が大事だね、試験が終わったら(塾に)毎日来ようよ!」
ともう一人にはっぱをかけていた。こういうのを"善友"というのだろう。
ブカツが終わってからだから8時近くか、8時を過ぎる。だが、そうしたら成績はとんでもなく上がるだろう。喉元過ぎれば・・・、今度はそうならないことを期待しよう。楽しみが増えた。
仕事を終わって食事をしたら10時半を過ぎていた。
さて、12月1日の北海道新聞根室地域版に載った第4部5回(最終回)の記事を紹介したい。
皆さんに根室の教育の現状を知ってもらうためによき材料としてドウシンさんの記事を利用し、議論をさらに深めることができれば幸いである。
北海道新聞根室支局の記者が代を継いでこの問題を4度もシリーズで採り上げてくれていることについて深甚の謝意を捧げる。
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教育再考 根室の未来
新聞活用
社会に目向ける契機に
「事実には傍線、意見には波線を引くんだよ」。担任のNT教諭(23)の呼びかけに、花咲小5年1組の児童25人は「書く力」と題したプリントに黙々と取り組み始めた。
子供の反応上々
学級通信にコラムを各国語の授業を前に、ほんしコラム「卓上四季」を題材に文章の構成や記述の仕方を学んでいる。
「子供にとってはむずかしい文章かもしれない。でも短い時間にきちんと読みきっている子がほとんど」とN教諭。同組のIAさん(10)は「いろんな話しが載っていて、新しいことを知ることができるのも楽しい。最近は家でも新聞を読むことがある」といい、子供たちの反応も上々だ。
本年度から全面実施された新学習指導要領では複数の教科で、新聞を教材として利用することをうたった。文科省は「今後の教育には多様なテキストを活用した効果的な指導が必要。テキストの中で新聞が重要な位置を占める」(初等中等教育局)との立場。日本新聞協会も授業での活用に力を入れる。今年10月に実施された全国学力テストの小学6年の国語では、新聞を題材にした問題が出題された。
ネットにない力
だが、新聞離れは加速し、同協会の調査によると新聞の発行部数は1996年をピークに減少の一途で、2010年には約4932万部とピークを下回った。根室も例外ではなく、北斗小5年1組の児童の家庭では4分の1が新聞を未購読だ。
そこで、同組担任のST教諭(30)は今年4月から「社会に少しでも目を向けてほしい」との思いで毎朝、朝夕刊を教室の外に設置した箱に入れている。
最近では家庭学習ノートに気になった記事を切り抜いて感想を書いてくる児童もいる。S教諭は「必要な情報以外も見渡すことができる新聞はインターねとにない力がある」と感じている。
こんな活用例もある。アット故障では新聞活用の発展形として、地元の商店や北方領土問題などの地域の課題について、自ら調べ、まとめた新聞作りを約2年前から行っている。
地域の課題調べ
総合学習の一環として、学力の向上はもちろんのこと「地域にほこりやまちを愛する気持ちをもってほしい」とのNH教頭(48)の提案で始まった。
新聞の内容や構成について理解するための授業もあり、この成果が表れたのか厚床小の6年生は学力テストの新聞に関する問題を「ほとんどの子が正解した」(同校)という。
根室市内では「新聞をまったく読まない教員も、少なからずいる」(教育関係者)のが現実。新聞学習の効果を実感するN教頭は「若い教師も新聞の構成や読み方などをきちんと知っていなければならない」 と語る。=おわり=
この連載は、栗田直樹、笠原悠里が担当しました。
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【ebisuの辛口コメント】
ははは、かわいい最終回である。
新聞の活用、我田引水の気味はあるがいいではないか。私も思いでを語ろう。
北海道新聞を読み始めたのは小学4年生のときだった。卓上四季は読んでいたが、社説を読めと進めたのは母親だった。国語辞典を引きながら1面の記事も読み始めた。当時の新聞にはルビが振ってあったから、小学生でも国語辞典を引きながら読めたのである。3ヶ月もしたら辞書なしで読めるようになり時間がかからなくなった。読書スピードが一桁違ってきたのが実感できた。ほとんど辞書を引かなくてよくなったのだからスピードの上がるのは当たり前だ。
この3ヶ月間に日本語語彙が何倍かに広がったのだろうと思う。そして辞書を使わなくなって読む範囲が広がったら語彙はさらに拡大して行った。6年生の頃にはリア王を読んでいたから、自然にほかにもいろんなジャンルの本を読むようになっていた。
これがのちに基礎学力強化の支えになった。家業のビリヤードの店番をしながら暇になると北海道新聞の社説や政治・経済欄を読む小学4年生を想像すると吹きだしたくなる、ずいぶんおませな子供だった。そんな子供を根室の大人たちは面白がってずいぶんかわいがってくれた。
昭和30年代前半の頃のことだから、戦後の民主主義の息吹を感じさせる記事が多かった。1960年10月13日の浅沼稲次郎の刺殺が載った1面記事や1963年の自衛隊による北海道へのソ連侵攻を想定した秘密のシミュレーション「三矢研究」に対する社説は今でも記憶に残っている。
驚いたのは沖縄返還のときの社説である。反対を表明したのは琉球新報と中部日報とわが北海道新聞の3紙のみ、大手新聞がどのような社説を掲げようとも迎合しない強さを北海道新聞社説はもっていた。私が北海道新聞を好きなのは、読み始めた新聞が道新だったことのほかにこうした何者にも迎合せずという覇気のある姿勢を好ましいと思ったからである。
それゆえ、取材先に遠慮した記事を書くというのは北海道新聞の記者魂にはないものと信じたい。
ニムオロ塾でもたまに新聞記事をコピーして生徒に配ることがあるが、「家では新聞を購読していない」という生徒がいる、残念だ。新聞を読むことを契機に好奇心が広がり、読書スピードが上がれば主要5科目の平均点は必ずや上がるだろう、しかし、家に新聞がなければそういう機会にめぐりあえないのである。
今回の記事を読むと、新聞を小学校の教材として使ってほしいようだが、それなら百万遍新聞紙上で主張するよりも、新聞記事にルビを振るのがいいだろう。ルビを振れば内容に興味を抱いた子供が読める。わからない語彙にぶつかれば国語辞典を引いて確かめられる。
ルビを振っていないから新聞を読むにも漢和辞典を引かざるを得ぬ。私が小学生のときでも漢和辞典を引いて読むのは相当に苦痛で、おそらく一月もしないうちに挫折しただろう。小学生のうちに新聞を読む習慣が付いたのは、ひとえに当時の新聞にルビが振ってあったお陰である。
ebisuは根室に戻ってきてからかれこれ9年間英字新聞ジャパンタイムズを定期購読しているが、その間数年光洋中学校の英語の先生がお取りになっただけで、市内のあまたいる英語の先生たちはどなたも定期購読されていない。根室高校図書室を数年前にみたが、スチューデントタイムズがあっただけである。普通科は入試偏差値42であるが、英字新聞すら図書室にないというのは情けない。これを機会に置いてほしい。
数年前に中学校で使われている英語の教科書に間違いがあった。willとbe going toの使い方を間違った文が載っていたが、失礼ながら私の生徒たちに英語を教えている先生で(授業で)用法の間違いを指摘された方は一人もいなかった。
当時もいまも根室高校で使っている文法の副教材には使うシーンの違うことがきちんと載っている。1980年代から受験参考書以外のものを読めばきちんと載っていたはず。ひとつもそうしたものに眼を通していない可能性が見えてくる。
この二つに使う場面の違いのあることなど私は中学生のときも、高校生のときも、大学生のときにもebisuは習ったことはない。mustとhave toのニュアンスや使う場面の違いも習ったことはない。だが、新しい物を読めばそうした情報はあちこちに見つかる。
教えるということは学ぶということでもある。
(できる生徒たちは教科書と学習指導要領の範囲にとどまる授業に飽いている、知的好奇心をかきたてないからだ。できる生徒もできない生徒も12月になっても繰り返されるビンゴゲームの授業にも飽いている。プロは"本業=授業"の手を抜いてはならぬ。)
仕事は正直に誠実に、世のため他人のためにプロの誇りにかけて渾身の力で仕事をしよう。2名の記者さん、各方面への取材ご苦労様、そしてありがとう。
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