#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む(1) :パイオニア Jan. 31, 2011 [83.『「漢委奴国王」金印]
先週土曜日(1/29)に中3対象の社会科の補習をやった。10月から5ヶ月かけて中学社会全科をやるつもりだがあと一月だ。地理をやり終え、続いて公民を終わって歴史に入ったのだが、福岡県出土の標記金印が問題に出てきた。
ここで「最近本を買ったな」と思い出してしまった。たしか、製造技術的アプローチで江戸時代の製作を強く疑う研究だった筈。
生徒には、「この金印には真贋論争があるので、最近製造技術的なアプローチからユニークな研究書が出ているので、調べて来週報告するよ」と伝えた。
それで、ざっと読んでみた。金印を計測した資料を駆使して、加工精度を確認しているが、後漢時代の製作物とするにはあまりに精度がよすぎるというのが著者の印象である。
後漢書倭傳の「光武賜以印綬」の記述に基いて、江戸時代の職人が作ったことが疑われる。そうだとしたらスポンサーは誰だろう?腕のよい職人とお金持ちで数寄者のスポンサーが手を組んでいたずらをして遊んでやろうと思ったのかもしれない。世間を相手の大きな遊びである、被害者は誰もいない。いや、だまされた仕事の不出来な考古学者が被害者かもしれない。まあ、「愉快犯」みたいなものだろう。
そのスポンサーと彫金の名工がゆらゆら揺れる蝋燭の明かりの下で相談している光景を想像してみられよ。ドキドキワクワクは間違いなしだ。腕のよい小説家なら、江戸時代の彫金に関する資料を集め、百万部売れるような小説が書けるだろう。
「精密な加工には、精密な測定技術が必須である」
(『「漢委奴国王」金印誕生時空論』p.21)
産業エレクトロニクスの輸入商社で5年間ほど働いたことがあるので、精密測定器である時間周波数標準器が電子部品の製造に必要なことぐらいは知っていたから、著者の言に納得がいく。
オシロクォーツ社のルビジウム周波数標準器や水素メーザー標準器の日本総代理店で、欧米50社の総代理店契約をもっていた。私はその会社で外国為替管理、長期資金管理、経営企画・管理、システム開発、システム管理、売上債権管理などの仕事を兼務していた。規模の小さな会社のほうが何でもやらしてもらえて面白い。もちろん度量の大きな社長でなければこういう仕事の任せかたはできない。あの会社を30代の半ばに退職したが、その後ニ十数年間為替管理で差損を出さないコンピュータシステムはそのまま受け継がれたのだろうと思う。売上総利益率も統合システム導入前にすでに12%あがって40%になっていた。仕組みの開発は利益確保に絶大な効果のあるものだ。民間企業は人をどのように使うかで、結果が大きく左右される。経営者が人材を見抜く目をもっていなければ、その会社の業績は凡庸なものにならざるをえない。仕事を任せた社長が優秀だった。初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカードと共に学んだ。その縁で戦後HP社の合弁子会社YHPができるまで総代理店だった。2代目は慶応大大学院で西洋経済史を学んだ教養人、社名を変更して店頭公開した。私はこの人の指示で会社公開前の利益拡大・自己資本充実を目標とする6つのプロジェクトで基礎作りの仕事を5年間担当させてもらった。いまは東大出の3代目と聞く。私が退職したころ東大生だった。
当時は200人弱の中小企業だったが営業は数人の国立高専出身者を除いて理系の学部出身者たちだった。取扱商品は半分が最終ユーザー防衛庁・米軍関係のエレクトロニクス商品、半分が産業用エレクトロニクス製品だったから、理系大卒でなければ説明ができない商品群だった。大手電機メーカーや国内の研究所が得意先。
先端知識重視の社長の方針で東北大学から助教授を講師に招聘し毎月様々な周波数帯域(マイクロ波、ミリ波、光)の計測技術の原理について講習会が開かれており、加えて欧米の総代理店の先端製品に関する説明会も頻繁に開かれるという面白い会社だった(この知識はのちに最大手の検査会社へ転職してから医療用検査機器の理解とメーカーとの共同開発に役立った)。1年常駐する海外メーカーのエンジニアもいた。
営業部門や技術部門対象の講習会ではあるが管理部門の私が参加しても違和感なく迎え入れてくれた。80年代初頭のオフコンや汎用小型機のプログラミングを修得し、システム開発関係の技術書(先端技術は原書)を片っ端から読んで仕事に使っていたから、マイクロ波計測に使われる制御用コンピューターの機能は外人のエンジニアが英語で説明しても理解できた。お陰でマイクロ波計測技術を中心としてさまざまな周波数での計測技術やデータ処理について5年間毎月勉強会で学習させてもらい知識を集積できた(文科系出身者が仕事で理系の製品を理解するにはたしかな基礎学力が必要だから、文科系進学でも数ⅢCまで勉強しておくべきだ。英語で書かれた専門書が読めるレベルまで実務は要求するから、大学では会話よりも文章の読解スピードを重視した勉強を薦める)。"猫に鰹節"だったなあと当時を振り返る。むしゃぶりついていた。社長はそういうわたしの性格を見抜いて仕事を任せていた。取扱商品への知識が増えるにつれて、営業と技術部に友人が増えていった。フランス原子力機関で働いたことのあるドクターNも親切ないい先輩だった。
ついでにもうひとつだけ脱線させてもらいたい。この会社で一番うれしかったことを書いておきたい。東京営業所長Eさんがナンバーワン営業だった。その彼と組んであるコンピュータシステムを作り、会社の業績が為替変動に左右されなくなると同時に売上高営業利益率を28%から40%超にあげることができた。実はこの仕組みはお客様であるユーザーにたいへんメリットのあるものだった。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」を地でいくものだった。
業績が安定しボーナスが為替変動に左右されなくなった。もちろん利益は大幅に増えたのである。自己資本比率がすぐに上がりはじめた。資金繰りがみるまに楽になっていく。利益の分配方式についても経営計画で三分法を公表、約束したから、士気も高くなった。社員の何人かがあるときうれしそうにこんなことを言った。
「ボーナスが安定して出るおかげで住宅ローンが組める、XXさんのお陰だ、ありがとう」
この言葉が一番うれしかった。不安定な業績では社員は結婚しても住宅ローンも組めない、働くにはそれなりの夢と希望が必要だ。そういう形のないものを大事にしたい。本当はいろいろな提案を受け入れてくれた社長が偉かったのだが、社員はそうした経緯を知らない。ほとんど役員ばかりの非公式のミーティングで社長は会社の基本方針を変える提案を何度も受け入れてくれた。ある合弁事業からの撤退に関するレポートをまとめたことがある。言われて書いたレポートではない。一番若い担当役員が海外出張から戻る社長を空港へ迎えにいって車中でそのレポートを読んでもらった。即断だった。当時で8千万円の損失を償却してその合弁事業を解消した。2億円程度の利益が出るようになっていたからこそ可能な決断だった。社長も同じ線で腹を括っていた。社内をまとめるダシに使えるレポートが揃ったというだけのこと、反対であろう筈がない。まとまりのよい会社だった。やる能力のある者はやるべき時が来たら任された仕事は全力でやるべきだ。
前置きと脱線が長くなってしまったが、そういうこともあって製造技術的な観点からの真贋論争へのアプローチにとくに興味がわいたのかもしれない。
金属加工には精度を維持するために切削作業に治具を必要とするがどういう治具を使っているのかを検討すれば、製作年代の推定ができる。もちろん鏨(たがね)などの工具の種類を同定することも同じ理由で重要だ。
拡大した写真に基いて個々の技術や道具を解説した上で、金印と国内の中国古代金印群A(4個)、中国の博物館所蔵の古代金属製印章群C(13個)、国内の中国古代金属製印章群J(13個)、江戸時代の金属性印章E(5個)、合計35個をマトリックスにまとめて比較検討(同書P.150)している。
著者は比較資料数が十分でないことを理由に挙げて慎重に断定を避けているが、はっきりしたことは次のようにまとめて述べている。
「「金印」については、本書のE群の印章との間に技術的な共通点をいくつか見出すことができた。それは、切れ味の鋭い腰取りたがねの使用、文字線の端部に向かって太くする書的な表現技術、印面の仕上げと印面四辺の直線度に反映する基盤技術水準の高さ、などである。
さらに、「金印」については、J群の日本国内にある中国古代金属製印章との間に技術的な共通性を見出すことができなかった。J群については、「金印」ばかりでなく、C群との間にも共通点を見出すことができなかった。
また、線彫り金印三顆については、C群及びJ群との間に、技術的な共通点を見出すことができなかった。」(同書p.162)
どうやら、江戸時代の製作が強く疑われるようだが、さて、生徒にどう説明したものだろう?
興味を持たれた人は本を購入して読まれよ。
物づくりの日本をいまも支えているのは様々な職種の職人・名人たちである。名工が尊敬される文化を1400年以上も培ってきた日本人には興味深い研究アプローチであることは間違いない。優れた職人とのコラボレーションがなければ書けない種類の本だが、こういうアプローチの研究書がこれを機会に世にもっともっと出てくることを期待したい。その意味で著者は先駆者である。
*#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
ここで「最近本を買ったな」と思い出してしまった。たしか、製造技術的アプローチで江戸時代の製作を強く疑う研究だった筈。
生徒には、「この金印には真贋論争があるので、最近製造技術的なアプローチからユニークな研究書が出ているので、調べて来週報告するよ」と伝えた。
それで、ざっと読んでみた。金印を計測した資料を駆使して、加工精度を確認しているが、後漢時代の製作物とするにはあまりに精度がよすぎるというのが著者の印象である。
後漢書倭傳の「光武賜以印綬」の記述に基いて、江戸時代の職人が作ったことが疑われる。そうだとしたらスポンサーは誰だろう?腕のよい職人とお金持ちで数寄者のスポンサーが手を組んでいたずらをして遊んでやろうと思ったのかもしれない。世間を相手の大きな遊びである、被害者は誰もいない。いや、だまされた仕事の不出来な考古学者が被害者かもしれない。まあ、「愉快犯」みたいなものだろう。
そのスポンサーと彫金の名工がゆらゆら揺れる蝋燭の明かりの下で相談している光景を想像してみられよ。ドキドキワクワクは間違いなしだ。腕のよい小説家なら、江戸時代の彫金に関する資料を集め、百万部売れるような小説が書けるだろう。
「精密な加工には、精密な測定技術が必須である」
(『「漢委奴国王」金印誕生時空論』p.21)
産業エレクトロニクスの輸入商社で5年間ほど働いたことがあるので、精密測定器である時間周波数標準器が電子部品の製造に必要なことぐらいは知っていたから、著者の言に納得がいく。
オシロクォーツ社のルビジウム周波数標準器や水素メーザー標準器の日本総代理店で、欧米50社の総代理店契約をもっていた。私はその会社で外国為替管理、長期資金管理、経営企画・管理、システム開発、システム管理、売上債権管理などの仕事を兼務していた。規模の小さな会社のほうが何でもやらしてもらえて面白い。もちろん度量の大きな社長でなければこういう仕事の任せかたはできない。あの会社を30代の半ばに退職したが、その後ニ十数年間為替管理で差損を出さないコンピュータシステムはそのまま受け継がれたのだろうと思う。売上総利益率も統合システム導入前にすでに12%あがって40%になっていた。仕組みの開発は利益確保に絶大な効果のあるものだ。民間企業は人をどのように使うかで、結果が大きく左右される。経営者が人材を見抜く目をもっていなければ、その会社の業績は凡庸なものにならざるをえない。仕事を任せた社長が優秀だった。初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカードと共に学んだ。その縁で戦後HP社の合弁子会社YHPができるまで総代理店だった。2代目は慶応大大学院で西洋経済史を学んだ教養人、社名を変更して店頭公開した。私はこの人の指示で会社公開前の利益拡大・自己資本充実を目標とする6つのプロジェクトで基礎作りの仕事を5年間担当させてもらった。いまは東大出の3代目と聞く。私が退職したころ東大生だった。
当時は200人弱の中小企業だったが営業は数人の国立高専出身者を除いて理系の学部出身者たちだった。取扱商品は半分が最終ユーザー防衛庁・米軍関係のエレクトロニクス商品、半分が産業用エレクトロニクス製品だったから、理系大卒でなければ説明ができない商品群だった。大手電機メーカーや国内の研究所が得意先。
先端知識重視の社長の方針で東北大学から助教授を講師に招聘し毎月様々な周波数帯域(マイクロ波、ミリ波、光)の計測技術の原理について講習会が開かれており、加えて欧米の総代理店の先端製品に関する説明会も頻繁に開かれるという面白い会社だった(この知識はのちに最大手の検査会社へ転職してから医療用検査機器の理解とメーカーとの共同開発に役立った)。1年常駐する海外メーカーのエンジニアもいた。
営業部門や技術部門対象の講習会ではあるが管理部門の私が参加しても違和感なく迎え入れてくれた。80年代初頭のオフコンや汎用小型機のプログラミングを修得し、システム開発関係の技術書(先端技術は原書)を片っ端から読んで仕事に使っていたから、マイクロ波計測に使われる制御用コンピューターの機能は外人のエンジニアが英語で説明しても理解できた。お陰でマイクロ波計測技術を中心としてさまざまな周波数での計測技術やデータ処理について5年間毎月勉強会で学習させてもらい知識を集積できた(文科系出身者が仕事で理系の製品を理解するにはたしかな基礎学力が必要だから、文科系進学でも数ⅢCまで勉強しておくべきだ。英語で書かれた専門書が読めるレベルまで実務は要求するから、大学では会話よりも文章の読解スピードを重視した勉強を薦める)。"猫に鰹節"だったなあと当時を振り返る。むしゃぶりついていた。社長はそういうわたしの性格を見抜いて仕事を任せていた。取扱商品への知識が増えるにつれて、営業と技術部に友人が増えていった。フランス原子力機関で働いたことのあるドクターNも親切ないい先輩だった。
ついでにもうひとつだけ脱線させてもらいたい。この会社で一番うれしかったことを書いておきたい。東京営業所長Eさんがナンバーワン営業だった。その彼と組んであるコンピュータシステムを作り、会社の業績が為替変動に左右されなくなると同時に売上高営業利益率を28%から40%超にあげることができた。実はこの仕組みはお客様であるユーザーにたいへんメリットのあるものだった。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方善し」を地でいくものだった。
業績が安定しボーナスが為替変動に左右されなくなった。もちろん利益は大幅に増えたのである。自己資本比率がすぐに上がりはじめた。資金繰りがみるまに楽になっていく。利益の分配方式についても経営計画で三分法を公表、約束したから、士気も高くなった。社員の何人かがあるときうれしそうにこんなことを言った。
「ボーナスが安定して出るおかげで住宅ローンが組める、XXさんのお陰だ、ありがとう」
この言葉が一番うれしかった。不安定な業績では社員は結婚しても住宅ローンも組めない、働くにはそれなりの夢と希望が必要だ。そういう形のないものを大事にしたい。本当はいろいろな提案を受け入れてくれた社長が偉かったのだが、社員はそうした経緯を知らない。ほとんど役員ばかりの非公式のミーティングで社長は会社の基本方針を変える提案を何度も受け入れてくれた。ある合弁事業からの撤退に関するレポートをまとめたことがある。言われて書いたレポートではない。一番若い担当役員が海外出張から戻る社長を空港へ迎えにいって車中でそのレポートを読んでもらった。即断だった。当時で8千万円の損失を償却してその合弁事業を解消した。2億円程度の利益が出るようになっていたからこそ可能な決断だった。社長も同じ線で腹を括っていた。社内をまとめるダシに使えるレポートが揃ったというだけのこと、反対であろう筈がない。まとまりのよい会社だった。やる能力のある者はやるべき時が来たら任された仕事は全力でやるべきだ。
前置きと脱線が長くなってしまったが、そういうこともあって製造技術的な観点からの真贋論争へのアプローチにとくに興味がわいたのかもしれない。
金属加工には精度を維持するために切削作業に治具を必要とするがどういう治具を使っているのかを検討すれば、製作年代の推定ができる。もちろん鏨(たがね)などの工具の種類を同定することも同じ理由で重要だ。
拡大した写真に基いて個々の技術や道具を解説した上で、金印と国内の中国古代金印群A(4個)、中国の博物館所蔵の古代金属製印章群C(13個)、国内の中国古代金属製印章群J(13個)、江戸時代の金属性印章E(5個)、合計35個をマトリックスにまとめて比較検討(同書P.150)している。
著者は比較資料数が十分でないことを理由に挙げて慎重に断定を避けているが、はっきりしたことは次のようにまとめて述べている。
「「金印」については、本書のE群の印章との間に技術的な共通点をいくつか見出すことができた。それは、切れ味の鋭い腰取りたがねの使用、文字線の端部に向かって太くする書的な表現技術、印面の仕上げと印面四辺の直線度に反映する基盤技術水準の高さ、などである。
さらに、「金印」については、J群の日本国内にある中国古代金属製印章との間に技術的な共通性を見出すことができなかった。J群については、「金印」ばかりでなく、C群との間にも共通点を見出すことができなかった。
また、線彫り金印三顆については、C群及びJ群との間に、技術的な共通点を見出すことができなかった。」(同書p.162)
どうやら、江戸時代の製作が強く疑われるようだが、さて、生徒にどう説明したものだろう?
興味を持たれた人は本を購入して読まれよ。
物づくりの日本をいまも支えているのは様々な職種の職人・名人たちである。名工が尊敬される文化を1400年以上も培ってきた日本人には興味深い研究アプローチであることは間違いない。優れた職人とのコラボレーションがなければ書けない種類の本だが、こういうアプローチの研究書がこれを機会に世にもっともっと出てくることを期待したい。その意味で著者は先駆者である。
*#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
「漢委奴国王」金印・誕生時空論―金石文学入門〈1〉金属印章篇 (金石文学入門 1 金属印章篇)
- 作者: 鈴木 勉
- 出版社/メーカー: 雄山閣
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本
2011-01-31 12:30
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