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#1308 教育再考 根室の未来 第2部 低学力⑤:学ぶ意欲 大人が手本に Dec.21, 2010 [64. 教育問題]

 シリーズ第2部の最終回であるが、実に広汎に取材を重ねていることに敬意を表したい。青字が北海道新聞12月18日の根室地域版に載った記事である。


 教育再考 根室の未来
    
第2部 低学力 ⑤
      勝野准教授に聞く  
  学ぶ意欲 大人が手本に 

 根室管内の低学力問題をどのように改善するべきか―。東大大学院教育学研究科の勝野正章・准教授(教育行政学、学校経営学)に聞いた。

 学びは、その意味を実感できることが大切だ。学ぶ意味が分かれば意欲につながり、子供は自ら勉強する。例えば漁業でも、生物や地理などの知識が役立つ。数学だって必要だ。学校では、意味を実感できる授業をする必要がある。
 親も変わるべきだ。大人でも「あれを学んでおけばよかった」と後悔することがある。親も社会の中で学び直す経験をすれば、その姿を見た子供も意味を見出せる。

 地域の力を活用
 学びに地域のボランティアの力を活用する取り組みが全国的に広がっている。退職した教員や大学生が補習を手伝うケースが多い。
 釧路市では失業者が子供に勉強を教える試みもある。子供はそうした経験を通じ「社会や大人って捨てたものじゃないな」と感じる。勉強の意欲が起きない子供は、社会や人間に対するあきらめがあるからだ。
 地域に若い教師が多いと、保護者のほうが年上になることがある。ただ、保護者と教師は一緒に子どもを育てる対等の関係だ。教師が未熟でうまくいかないこともあるが、保護者はむやみに批判してはいけない。

 別の姿に目を
 教師の見る子供の姿と親の見る姿は違う。学校では荒れている子供でも、家では兄弟の面倒をよく見ていたりする。教師と保護者が話しをするのは、子供のさまざまな面を理解するプロセスにするという考え方が重要だ。
 フリー参観のように、地域に対して学校を開く考えは大賛成だ。ただ、「子供が荒れているので責任をとってください」という姿勢ではうまくいかない。学校と家庭の役割分担は必要だが、互いに責任を押し付けあってはいけない。

 三者協議に好例
 今日惻隠、保護者、生徒で作る「三者協議会」を開き、学力向上につながった例がある。協議会は三者の代表者の他誰が参加してもよく、好きな議題を出した話し合う。
 たいてい最初は拘束などが話題になるが、そうした話題はやがて尽き、授業の課題が残る。生徒は「黒板を見やすくしてほしい」、教員は「授業にきちんと集中して欲しい」などと意見を出し合う。保護者も「昔はこうだった」などの話しをすればいい。
 協議会が開かれるまでの間に、生徒同士や保護者同士で意見をまとめることも重要だ。生徒同士で話し合い、勉強する雰囲気が作れるようになれば、学力は向上する。
       =おわり=
 この連載は幸坂浩、栗田直樹、小沢弘和、本庄彩芳が担当しました。

< コメント >
 最後は大学の先生のご意見で締めくくるというのは前回と同じだ。前回は幸坂記者単独で、今回はチームプレイだが、よくまとまっていおり、作業分担のレベルも高い。なかなかいい仕事ぶりをみせてくれる。

 「学びは、その意味を実感できることが大切だ。学ぶ意味が分かれば意欲につながり、子供は自ら勉強する。例えば漁業でも、生物や地理などの知識が役立つ。数学だって必要だ。学校では、意味を実感できる授業をする必要がある
 意味を実感できる授業をやるのはむずかしい。高校では数学の先生が「数学なんて役に立たない」という人すらいる。実社会で数学を使ったことのない先生の中には本気でそう思っている人もいるのだろう。
 しかしだ、例えばコンピュータサイエンスの本を読むときも原価計算の専門書を読むときも経営分析をするときも数学は必要だ。受験数学の問題を解いているとこんなもの役に立つはずがないと思えてくるだろうが、実社会に出たときに数学的な思考は仕事の強力な武器になるし、数学そのものがいろんな専門書を読むときに必要最低限の知識となっていることに気がつく。
 文系・理系を問わず数学は必要な知識、いわばそれは教養の一部をなすものである。
 80年頃はヒューレットパッカード社製の科学技術計算用プログラマブル・キャリュキュレーターでプログラミングできなければ精度の高い経営分析すらできなかった。90年代になってからエクセルの関数機能でまにあうようになったが、それでも簿記の他に統計学や数学的知識がなければ満足な経営分析ができるはずもない。
 文系・理系なんて言ってられるのは高校と大学のみ、民間企業は総合力の時代なのである。文系でも数Ⅲまではクリアしておくべき時代である。
(民間会社で働いたことのない高校の先生たちには理解できないことかもしれない。学校の先生も半数以上は民間会社で5年以上働いたことのある者を採用すべきなのだろう。もちろん、敬意を表して処遇はプレミアムをつけて。)

 「親も変わるべきだ。大人でも「あれを学んでおけばよかった」と後悔することがある。親も社会の中で学び直す経験をすれば、その姿を見た子供も意味を見出せる」、親の背中を見て子は育つとはよく言ったものだ。その通りだと思う。私も親の背中を見て育った。人の使い方の80%は親の背中から学び、20%は自分の経験した現実から学んだ。そして
何人かが私の背中を見て学んでくれただろう。人は「経験智の一時預かり所」にすぎないのかもしれない。敬意を表しつつ学んで受け継ぎ、自分の経験を加えて渡すべき者に伝えて役目を終える。

 「学びに地域のボランティアの力を活用する取り組みが全国的に広がっている。退職した教員や大学生が補習を手伝うケースが多い」、帯広市では学校支援員制度を利用して地域住民が放課後補習に参加しているようだ。帯広には国立大学の帯広畜産大学があるからインテリもある程度いるし優秀な学生も市民として住んでおり、地域住民の中に学力の高い者が一定数いる。そういう人たちが小学校や中学校の教育に関われば子供たちの学力を上げることができるのは当然だ。オープンな市教委の方針も大事だ。
 さて、根室に大学はなく、最高学府は根室高校と根室西高校のみ、どうしたものか。帯広よりもだいぶ難しいことだけは確かだが、やれるところまでやればいい。土曜日でよければ3月からなら私も近くの中学校で後輩たちを相手に補習をしてもいい。やり方を観れば先生たちも個別指導のコツがのみ込めるに違いない。

 「学校と家庭の役割分担は必要だが、互いに責任を押し付けあってはいけない」、そうですね。お互いの役割を認め合ってそれぞれがなるべきことをなさなければ子供たちの学力を上げることはできない。生徒と学校と保護者と地域住民の間でコミュニケーションが必要だと言うこと。教育行政も混ざればなお結構。
 2番目に古い市街化地域の中学校では冬休みに5日間だけ中3対象に午前中の補習授業をやることになっている。他の学校でもこうした取り組みがなされるのかもしれない。市民の関心が教育に集まれば学校も教育行政も変わるのだ。


*#1307 教育再考 根室の未来 第2部 低学力④:荒れる中学校
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-19-1


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ZAPPER

文系・理系なんて言ってられるのは高校と大学のみ。

まったくもっておっしゃる通り!
私も、同じことを塾生に言っております。(^^)

学校教員には無理としても、まずは我々が声を大にして言わなければならないことですが、その意味するところを理解できない同業が多いのが悲しいです…
by ZAPPER (2010-12-21 17:48) 

ebisu

ZAPPERさんとは話しが合いますね。
ついでに少し補足させてください。

世の中には文系理系両方の専門知識がないとできない仕事ってたくさんあるのですが、やれる人がわずかしかいない。

現実の仕事や解決すべき問題は文系とか理系に分かれているわけではないのです。丸ごと仕事としてあるいは解決すべき問題として現れています。

いくつかの専門分野のクロスオーバーしたところで発生する問題は担いうる人材がほとんどいません。ニーズは大きいのに人材が不足している。
つまり、文系・理系を自在に行き来できる人は職に不自由しないということです。

就職が・・・などと困ることのないように、文系でも大学卒業までに高校数Ⅲ以上の数学の勉強をしてほしいと思います。その後に読める専門書の幅が違ってきます。

社会人となってからの10年間に分野の制限なしに自由にさまざまな専門書を渉猟できる基礎能力はその人の仕事の専門能力を飛躍的に高めます。2000人の社員のいる会社でも仕事でナンバーワンになれるでしょう。
そして自分の価値を高めておくことがいざというときの「保険」になります。多くの会社がそういう人材を求めています。
就職難の時代にこそ、社会が求めるクロスオーバーできる人材になろう。
by ebisu (2010-12-22 00:17) 

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