SSブログ

#1301 『終わらざる夏』 Dec.14, 2010 [21. 北方領土]

 『終わらざる夏』を読み終えた。占守島の8日間の戦いを三人の召集兵を通じて追った作品である。浅田次郎作品は人間の情を謳いあげるのがうまい、この作品も秀逸だ。ある程度資料を集めて執筆に臨んだのだろうが、作家の想像力と筆力に脱帽である。胸の中に熱いものがこみ上げ何度か涙が溢れた。

 昭和20年8月17日から24日まで8日間の戦闘が占守島であった。満州にいた関東軍の精鋭2万3千人が朝鮮経由で日本へ移動する。そして汽車で北海道へ、根室経由で占守島へ向かう。
 アリューシャン列島経由で米軍が攻めてくるという大本営参謀の見込み違いがあった。制海権は失われ、ぴかぴかの戦車や武器を大量にもつ日本陸軍精鋭の大部隊は占守島を要塞化してしまう。終戦の玉音放送は北海道から千キロも離れた占守島には届かない。
 8月17日にソ連が上陸作戦を試み、3000名の死者をだし大敗北する。勝利した占守島の陸軍は武装解除となり、その後シベリア送りとなる。ソ連から見ればにくき敵兵である。シベリアの強制収容所での扱いは過酷を極めた。
 占守島上陸作戦での大敗北でソ連は北海道への侵攻をあきらめたとある。占守島に関東軍の精鋭2万3千人がいなければ、北海道はソ連に蹂躙され、朝鮮と同じく日本は南北に分断されたと読める。

 

【本文から2箇所抜粋】
「敗戦の後に始まった戦争は、ソ連軍に多大の犠牲を強いた。皮肉なことには、実に圧倒的な勝ち戦であったという。その結果、千島列島の武力占領というソ連の企図は挫折した。」『~下』447ページ
「四百人の女子工員を乗せた船団が、一隻も欠けることなく根室に到着したという無線を傍受したとき、長崎と柏原の港には時ならぬ万歳の大歓声が上がったそうだ。
「日本は敗けたが、私はあの時勝ったと思いました」448ページ

 戦いの始まった直後、占守島と幌筵島の港から缶詰工場で働く女子挺身隊400名の脱出劇も読み所の一つだろう。兵は領土を守り20歳前の女子400名を根室へ逃がした。なすべきことをなしたといえるだろう。そして武装解除後一人残らずシベリア送りになった。
 シベリア送りになったのは公称65万人、ソ連側の資料で75万人、犠牲者は6.5万とも7万5千人とも30万人以上とも言われるが定かではない。
 ともかくも、日本の領土を守るという当たり前の仕事をして、勝ち戦だったからこそ過酷な強制収容所生活を強いられ死んでいったたくさんの兵隊たちがいた。

 
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 根室情報へ
にほんブログ村


 

終わらざる夏 上

終わらざる夏 上

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/07/05
  • メディア: 単行本

終わらざる夏 下

終わらざる夏 下

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/07/05
  • メディア: 単行本

*この作品は史実とはかなり異なるようだ。個人的に北方領土問題を研究している方から書き込みがあったので、コメント欄から引き揚げて本文の注に追加する。フィクションとして読むべきであった。
彼の指摘によれば最後の女子挺身隊の根室到着の場面もずいぶん脚色されているし、そもそも北海道へ侵攻するために占守島に上陸する必要はないとの彼の主張はその通りだろう。いまさらながら地図を見ればわかる。
 スターリンが北海道侵攻をあきらめた理由も米国大統領トルーマンの「返電」が原因だと指摘があった。後は彼のコメントをお読みいただきたい。

浅田の本は読もうと思ってまだ読んでいません。でも、こちらのBlogを見ると、読む気が少し失せました。

北海道占領計画は、8月18日のスターリン宛トルーマン返電により頓挫しており、占守の戦いとは無関係でしょう。それに、占守の戦いに関与したソ連軍には、もともと、新知島の占領までが任務だったが、占領がはかどったので、ウルップを新たに加えたと、ボリス・スラビンスキーの研究により示されています。

そういうことを知らなくても、地図を見れば、占守の戦いと、北海道占領計画に、それほど深い関係があるわけではないと思いませんか。北海道は亜港や浦塩の方が近いのだから、わざわざ補給困難なカムチャツカをぐるっと遠回りする人はいないでしょう。「われらの北方領土」でも、北方領土を占領した部隊は、樺太攻略部隊であることが、明示されています。

それから、別所二郎蔵の論文には、女子工員と軍慰安婦を乗せた船のうち、一艘が中千島で座礁し、ソ連軍に救助された後、樺太経由で全員が帰還したと、書かれていたように記憶しています。

ブログ「北方領土問題」
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/

cccpcamera blog
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/

 内容が史実とかなり異なることは、浅田氏はあとがきとして記しておくべきではなかったか、それともこの手の作品はフィクションと割り切って読むべきなのだろうか?
歴史物を書くときは作家は相当資料を集めて自分のストーリーを補強するものだが、この作品はほとんど作家の想像力のたまもののようである。
 なお、ブログ本文は15日朝、みっともなくてかなり削除したことをお断りしておく。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

cccpcamera

浅田の本は読もうと思ってまだ読んでいません。でも、こちらのBlogを見ると、読む気が少し失せました。

北海道占領計画は、8月18日のスターリン宛トルーマン返電により頓挫しており、占守の戦いとは無関係でしょう。それに、占守の戦いに関与したソ連軍には、もともと、新知島の占領までが任務だったが、占領がはかどったので、ウルップを新たに加えたと、ボリス・スラビンスキーの研究により示されています。

そういうことを知らなくても、地図を見れば、占守の戦いと、北海道占領計画に、それほど深い関係があるわけではないと思いませんか。北海道は亜港や浦塩の方が近いのだから、わざわざ補給困難なカムチャツカをぐるっと遠回りする人はいないでしょう。「われらの北方領土」でも、北方領土を占領した部隊は、樺太攻略部隊であることが、明示されています。

それから、別所二郎蔵の論文には、女子工員と軍慰安婦を乗せた船のうち、一艘が中千島で座礁し、ソ連軍に救助された後、樺太経由で全員が帰還したと、書かれていたように記憶しています。
by cccpcamera (2010-12-15 09:02) 

ebisu

cccpcameraさんお久しぶりです。

じつはあなたからの書き込みを期待していました。わたしは周辺事情に疎い。
たしかに、ご指摘のように北海道へ侵攻するために1000キロも離れたところを攻める必要はないですね。

女子工員の話も史実とはずいぶん違いますね。
あなたが『終わらざる夏』を読む気が少し失せた気持ちがわかります。

名の知れた作家はそうとう資料を集めて書きますから、もっと史実に忠実な本だと思い込んでいました。小説なのですね。
どうもありがとう。

本文に史実とはずいぶん異なると注を入れたほうがいいようです。
by ebisu (2010-12-15 09:17) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0