SSブログ

#1122 高校統廃合問題:商業科と事務情報科は歴史的使命を終えたのでは? July 19, 2010 [64. 教育問題]

  高校統廃合問題を扱ったブログ記事の中で、商業科と事務情報科はその歴史的使命を終えていると書いた。その理由として3つ挙げたので敷衍して論じたい。
 極論の方が問題の本質があらわになるから、穏やかならざる見解を披瀝することになっているかもしれない。暴論と思っていただいて結構だ。
 最後に、次回に取り上げるテーマを予告しておいた。2014年度に予定されている高校1校化を数年先延ばしする具体的な方法を考えてみようと思う。「高校問題を考える保護者の会」の方たちも一緒に考えてみてほしい。数年時間を稼ぐことで必要な準備をするのが、高校の教育崩壊を防ぐために必要な措置であると私は考えている。
 なお、高校統廃合問題は「教育問題」カテゴリーにまとめてあるので、当該カテゴリーをクリックしていただければ、一連の主張、新聞記事の概要などが検索できる。

 ①地元経済界への人材供給
 地元経済界への人材供給という面ではほとんど役割を終えたように見える。たとえば、根高で中位から中の上位の学力の生徒の就職先だった旧根室信金はすでに高卒男子の採用をやめている。女子もほとんどが大卒か短大卒である。地元企業ですら、とっくに基礎学力重視の採用へ舵を切っている。商業科や事務情報科レベルの専門能力へのニーズは数分の一になってしまっている。信金については特殊事情もある、厚岸信金を吸収して大地みらい信金になったことが、採用の地元離れを促進しただろう。
 昔と比べると、企業の側にあえて市内の高校から人材を採用する必要がなくなっている。採用の方針も基礎学力重視であり、それゆえ、商業科と事務情報科はすでにその歴史的使命を終えたと云えるのではないだろうか。

 ②進学状況の変化
 団塊世代はおおむね大学進学率は15%程度だっただろう。大学進学は経済的な理由からできない家庭が多かった。わたしも高校2年までは大学進学など考えたことすらなかった。高卒で金融機関に就職するつもりだった。大学進学した者たちで地元に戻ってくるものは少なかったが、高卒の優秀な者たちを採用することで地元経済界への人材供給は質の面で問題がなかった。
 ところが昭和の終わりごろから状況が変わってしまったようだ。地元経済を支える人材に枯渇現象が起きているようにみえる。担うべき仕事に対して、担うに足る能力をもった者たちが足りない。
 たとえば病院建て替え問題一つとってもそれが言えないだろうか?市長選挙が2期続いて対立候補すら立たずに、無投票当選になるようだ。道内でこんな市は他にはない。もちろん全国的にも例がないかもしれない。市長選挙で見る限り、根室は道内で一番人材が枯渇している市だ。
 元々根室高校は「根室商業」だった。昭和39年当時は大正町から牧ノ内校舎へ引っ越したばかりで、商業科3クラス150人、普通科4クラス200人の7クラス350人だった。入試で70%以上の得点層のうちの半数程度が地元に残った。
 高校卒業者120万人のうち、50万人が大学進学をする時代である。経済的事情で進学をあきらめざるをえない生徒は相変わらずいるだろうが、そういう生徒の比率は数分の一になっているだろう。
 今日の新聞によれば2009年度の道内の大学進学率は41.3%である。札幌が53.0%、釧路は32.2%、地域間格差が大きい。団塊世代の頃は根室の道立高校への進学率が40%を切っていただろうから、現在の道内の大学進学率と同じ比率である。
 学歴がインフレを起こしたということだろう。高校の教科内容のレベルが下がったわけではないから、高校の授業についていけているものはほぼ半数しかいないと見てよい。基礎学力に問題があり、高校の教科内容を理解できない生徒が高校生のほぼ半数を占めている。
 入試制度が変わってしまったから、商業科や事務情報科から大学進学をする者は著しく不利である。基礎学力の面でも問題がある。受験で配点の高い国語や数学や英語の授業時間が半分程度しか取れない。これで普通科の生徒と同じ土俵で入試を競うことになる。大学進学者にとっては圧倒的に不利である。大学進学者が増えていることを考えれば商業科や事務情報科はニーズに合わなくなっている。簿記が必要なら普通科でも選択できるし、事務情報科で習うくらいのコンピュータ・スキルは社会人となってからでも1年あれば仕事をしながら修得できる。エクセルやワードに使い方を高校で勉強する必要はあまりないとわたしには思える。情報技術に関する科目も半端である。専門用語を知ることはできるがその背後にある意味や内容を知るのは高校レベルでは時間数が足りない。事務情報科を残すなら、データベースソフトのアクセスが扱えるレベルまで教えるなら意味はある。パッケージソフトからデータを取り出して、ある程度のシステムが自力で組めるからだ。しかし教員の側に、そうしたスキルを持つ者がまだほとんどいないのではないだろうか?
 大学へ進学する生徒が増えている現状を考えると、商業科や事務情報科へのニーズは小さくなってしまっているように思える。
 諸般の状況の変化を考慮すれば、地元経済界は基礎学力のしっかりした者を採用できればいい。仕事で必要な専門書を自力で読み、理解できる学力があれば十分だとわたしは考える。
 進学状況の変化は地元企業にも影響している。採用の問題と事業継承者の両方にである。大学を卒業したからといって、全員がしっかりした基礎学力を身につけるはずもない。事業継承者は学力と志の高さが問われるだろう。学校教育には志の高さと基礎学力の充実が求められている。
 地元企業でも会社諸規程をきちんと整備して、個人商店経営を脱すれば大卒採用に不自由のない時代となっている。学歴は参考にはなっても、人材を選ぶ決め手にはならない。人材採用にたしかな鑑識眼が必要な時代であるが、これが一番むずかしい。

 大学進学率がおおよそ2倍になり、それに加えて入試制度が変わってしまった。基礎科目の時間数を削ってしまう商業科や事務情報科の生徒は大学進学で圧倒的な不利を抱え込むことになっている。このような現状は変えるべきだ。それゆえ、商業科と事務情報科は歴史的使命を終えたと私は考える。 

 ③生徒の学力の変化
 当時の入試は主要4科目が30点美術・技術・体育・音楽・英語が20点の合計200点満点だった。普通科は全員合格、商業科は競争率が2倍強、半数が落ちた。商業科のトップクラスは得点が80%近辺、70%以上の得点層はおおよそ1割程度いただろう。現在の300点満点に引き直せば高校入学時点で240点レベルの生徒が何人か商業科にはいたし、210点以上がおおよそ1割の15人程度いたことになる。普通科で成績の優秀な者も大学へ進学しないで就職した人が多かった。だから、高卒のトップクラスの者を採用すれば地元経済界は人材には困らなかったのである。
 翻って、最近の商業科や事務情報科のトップクラスは60%程度の得点ではないだろうか?普通科の合格最低点は5年前は50%の150点だったが、今年は60~70点台の生徒も合格している。商業科や事務情報科を受験して普通科へ回された生徒たちはいま必至に勉強しているだろう。高校進学者の平均得点はこの40年間でずいぶん下がったと見ていい。団塊世代で根室高校進学者の割合はおおよそ4割だった。現在は3分の2の6割7分が根室高校へ入学しているから、この数字だけでも平均的な学力レベルが低下していることは理解できるだろう。。
 いまや成績上位の者の大半が大学進学する時代となった。その結果、大学進学しない者たちの学力レベルが様変わりしてしまった。
 「読み・書き・ソロバン」つまり「読み・書き・計算」の基礎能力が著しく低下している。小学校での英語必修化が来年度から始まるから、この傾向はますますひどくなるだろう。したがって、高校は基礎学力重視でいい。商業科や事務情報科で専門科目が増える分だけ、基礎科目である国語・数学・英語の時間数が減らされる。商業科や事務情報科は普通科に比べて基礎学力に問題を抱える生徒多い。それゆえ、高校教育は基礎学力の充実を最重点目標にすべきであり、専門科目を重視する商業科や事務情報科ではそのようなニーズに応えることができない。

【まとめ】
 人材はいろいろなレベルの者が混ざっている方が安定していていい。地元企業が就業規則や退職金規程、人事規程などの諸規程を整備して経営をオープンにし、大卒を採用すればいい。その一方で地元の高校卒業者の採用も進めてもらいたい。まじめに、きちんと仕事をする者なら採用できるはずだ。基礎学力と共に大事なのは家庭の躾け、我慢すべきところはしっかり我慢して、嫌なことでも仕事なら技術を修得するために毎日努力を続けることのできるような性格に子どもを育てたい。わたしは「職人主義経済」を提唱しているが、仕事に関わる技術の修得、修業は最も大事なことである。そして「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の伝統的な商道徳を実践できれば、そういう担い手のいる会社は永続的な発展ができるだろう。
 もちろん基礎学力は高いにこしたことはないから、小中学校が生徒たちの基礎学力をしっかり育み、鍛えるように変わるために教育行政と学校は具体的なプログラムを提示すべきだ。そのために地元経済界が必要な人材像を教育行政に対し具体的に提示すべきだ。教育行政と地元経済界が子供たちの学力向上で手を組めば、地元経済の長期的発展が展望できる。

【高校2校体制を数年間延長する方法はあるか?】
 さて、次回の教育問題は、高校統廃合を数年間ペンディングする方法を論じてみたい。
 2校体制を続ける現実的な方法はあるのだろうか?
 「高校問題を考える保護者の会」の方々も一緒に考えてみてほしい。例のないことなので道教育局との交渉がたいへんではあるだろう。しかし、現実的な方法がありうるかもしれない。
 時間をを稼いだ数年間に、小中学校教育を立て直せばいい。もちろん家庭学習の習慣化もセットで取り組まなければならない。その後に1校体制に移行する。高校の学校崩壊を回避したい。

 いいアイデアがあったら、コメント欄へ書いてもらいたい。
 参考のために、生徒の人数の推移を再掲しておく。
 なお、現在の根室高校の定員は5クラス200人、根室西高校の定員は120人である。

中卒予定者人数はH25年までは280人で推移し、
 H26年 220人
 H27年 276人
 H28年 267人
 H29年 235人
 H30年 226人 以下逓減


*面白いアイデアを紹介する。学力改善運動をデータを公表してやろうというものだ。釧路と根室で連携して全国にアナウンスしてやればいい。根室は全道14支庁管内で最下位の学力レベルだから、そこで学力向上に成功したら全国に根室の名前が知れ渡る。もちろん失敗した場合にもだ。背水の陣が必要だとebisuは感じる。いつもの釧路のMさんのブログだ。
 「学力向上で町おこし」
 
http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51577986.html

 基礎学力と労働観・勤労観の大切さを説く
 「この街の再生のために」
 
http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51578007.html 


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 4

塾生

 正直、小学生のパソコン授業も疑問ですね。バカみたいに公費を突っ込んで環境整備し、大したことを教えていない。
 大卒と高卒では、賃金体系も差が出ることがあり、良い大学ほど求人も多く、いわゆる「学歴フィルター」は世間に厳然として存在します。高卒で社会に出る厳しさとリスクをどれだけ認識してるか。高校の授業にもついてけない者を拾う企業はないです。
 大学受験は今の日本で最も公平な競争ですので、卑屈にならずにどうか志を大きくもって頑張って欲しい。
 
 
by 塾生 (2010-07-19 12:23) 

amanda

私も小学生のPC授業は疑問です。やるとなっても、実際何をさせるのか?おそらく現場の先生方も困っているのでは?と感じます。うちの子供もたまにPC授業で絵を描いてきたとか言って持って帰ってきますが、あれだけ予算つぎ込んで、お絵かきではちょっともったいない・・・。
やるとするならば、操作方法とかPCに慣れるとか(そんなことは今の子供たちならほんの数分でできてしまいます・・・)いう前に、小、中、高校で、情報モラル(ほとんど道徳)についての授業をするべきだと思っています。
小学生が、ネットゲームでアイテム購入するのにお金を使い、購入できないといじめられる・・・そんな話を身近に聞くとぞっとします。

でも、その前に教員にも情報モラルを学んでもらわないといけない・・・

by amanda (2010-07-19 14:29) 

ebisu

「塾生」さん、コメントありがとう。
小学校でパソコン授業は不要ですね。全国の小学校でパソコンを買い、ほとんど使われずに5年たてばまた買い換える。誰のための予算でしょう。
高卒で社会に出ることのリスクは根室の子供たちにはぴんと来ない。周りに大卒の社会人が少ないし、根室と云う「村社会」の中では学歴格差は都会ほどリスクが大きくはないからです。

根室を出て都会でサラリーマンをやるには大卒は最低限のパスポートです。団塊世代の高校進学者の割合(おおよそ4割)と2009年度の道内の大学進学者の割合がほぼ同じです。
現在の大卒は40年前の高卒と同じ意味しかもたない。
それすらなしに社会に出ることは大きな不利益を最初から抱えることになります。
根室の子供たちはそうした現実について見ることなく大半が根室から出て行く。
勉強しろと何度口を酸っぱく云っても云い過ぎる事はない。
職人の修業の苦労を考えれば、受験勉強のほうがよほど楽だとも云えます。
by ebisu (2010-07-19 22:23) 

ebisu

amandaさん、コメントありがとう。
一昔前に、そう90年代にシステム部門からネチケットについてメールが回ってきました。
インターネットでの発言やメールは相手の顔を見ながら話すのとは違って、言葉がときにきつくなります。わたしはときに意図的に過激な発言をしますが、意図せずにきつい言い方になることもあります。そういう時は慌てて直しています。ブログは気がついたときに修正が効くのがいいですね。

情報モラル=ネチケットこそ小学校や中学校の授業で採り上げるべきですね。
教育関係科目にネチケットに関する科目はありませんから、先生になっている人は、情報モラルに関するトレーニングを受けていないでしょう。必要な知識ですから勉強すればいいのですが、どうでしょう。
ネチケットについて小学校や中学校では年に数回授業をすべきでしょう。

先生はやっていいことと悪いことははっきり生徒に言い渡すべきです。理由は要らない、問答無用でイジメは卑怯で人間として恥ずべき行為だと強く言うべきです。
会津に「什の掟」と云うのがあります。一つは時代に合いませんから、それを除いて毎朝、授業の前に唱和すべきですね。イジメは激減するでしょう。

20年前に姪がワープロを使ってお絵かきして遊んでいましたが、そういうことのために日本全国で小学校にパソコンを導入する必要はありませんね。

最近の学校祭で見学しましたが、根室高校には「パソコン室」があり、ノートパソコン・ダイナブックが40台並んでいました。
小中学校には不要です。
そんなことをやるくらいなら、中学校では小数点の乗除算や分数をきっちり教えてほしいものです。1年生では40%、3年生でも30%程度はその辺りが怪しい生徒がいます。
とりとめのない話になりました・・・m(_ _)m
by ebisu (2010-07-19 22:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0