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基礎計算力の重要性 #888 Feb.1, 2010 [62. 授業風景]

  888、八八八、末広がりでいい数字だ。
 先週のことだが、高1の生徒が三角比の問題をやっていた。余弦定理の問題は計算力が要求される。問題数も『4TRAIAL』にはそこそこのボリウムが載っている。坦々と四則演算を繰り返さなければならない。

 高2の生徒は微分に入ったばかりで極限の問題をやっていた。
「先生、"x→2"はどうして2のところが白丸になっているの?」
 こういう疑問は大切だ。なぜ極限の問題を微分のところでやるのか、少したてば自然にわかるのだが、「入り口」で何もかもがわかるはずがない。しかし、こういう基本的なところで納得がいかないと先に進めない生徒も一定数いる。極限ってなんだろう?当然の疑問だ。漢字で"極限"と書くのだからある程度の意味はわかるはずで、「限りを極める???」何だろう?具体的な事象との関連が理解できていないだけだ。
 理屈は簡単だから、生徒をからかってみる。生徒との対話がはじまる。

 亀が先にスタートし、アキレスが追いかける。アキレスが亀との距離の半分まで来たら、亀はちょっと前に進んでいる。亀とアキレスの距離の半分のところまでアキレスが追いつくと、亀はまたちょっと先まで進んでいる・・・、こうしてアキレスは亀に追いつけない。
 「???」
 アキレスと亀の例で説明すれば論理的には永遠に追いつけないが、現実はアキレスが亀を追い抜かすから、何かおかしい。こうして直感的に論理矛盾に気がつく。こういう基本的なところから極限の問題をじっくり考えていけば粘り強い思考力が鍛えられる。
 数学は覚えるだけではだめで、とことん考え、理解を深めることでどのような問題にも柔軟に対応できるようになる。今日入塾した高校1年生もしぶとく考え抜く力を鍛えてほしい。臨機応変に問題に対処する力は考え抜くことで手にすることができる。

 極限の問題は面白い。論理的に整合性がっても現実と矛盾することがあるという体験をさせておくのは大切だ。論理はある意味で有効な道具だが、世の中論理がすべてではないことも体験させておくべきだ。
 ついでに言うと、"x→2"だからいいが、"x→0"ならマイナス側から近づくのとプラス側から近づくのでは結論が正反対になる。こういうふうに極限を拡張すればそこはもう数Ⅲの範囲だ。

 数学は遊びと同じで、考えれば考えるほど面白いものだ。知的遊びと言っていいだろう。そういう面白さを体験した子どもはいい意味で数学にはまっていく。

 極限の練習問題も四則演算の塊である。接線方程式の問題も四則演算のカタマリだ。微分や積分の問題も四則演算のカタマリである。

 小学校で3桁の掛け算をやらなくなった。小学校の授業からいつの頃からか「そろばん」が消え、珠算塾に通う子どもが減って基礎計算力が落ちたのが先なのか、計算力が落ちたから小学校から3桁の掛け算が放逐されたのか、鶏が先か卵が先かという議論に似て、どちらが先かわからないが、子どもたちの基礎計算力が著しく落ちたことは確かだ。
 珠算を習ったことのある子どもが3桁の乗除算くらいでひるむはずがない。

 いったい3桁の乗算もできない子どもが、高校数学で三角比の余弦定理の計算問題を次々に解くことができるだろうか?
 微分や積分計算で出てくる四則演算を全部正しく計算し、どれほどの確率で正解に行き着くだろうか。
 基礎計算力の劣る生徒は、こういう分野でつまづく。基礎計算力の強い生徒は数学の問題を何時間も楽しみながら坦々と解くが、基礎計算力の脆弱な生徒は途中で鉛筆がとまり、集中力が持続しない。なかなか正解に行き着かないから、しょっちゅう答を見て途中計算を確認しなければならない。その都度、集中は途切れ、学習の生産性は著しく低下してしまう。そういうときにお喋りが始まり注意を受ける。よくみると集中力が持続できない生徒は姿勢も悪いケースが多い。椅子に深く腰をかけて背骨をまっすぐにすると疲れないから集中力が持続できる。姿勢の悪い者はしょっちゅう身体を動かしてバランスを取ろうとするから、集中が途切れてしまうともいえる。姿勢の問題は成績に影響している。家庭で子どもの勉強する姿勢をチェックしているだろうか?鉛筆はきちんともてないものの方が多い。70%を超えるだろう。成績を良くしたかったら、鉛筆の持ち方と座る姿勢は就学前に家庭でしっかりしつけたほうがいい。
 集中している生徒は夢中でやっているから他の生徒が10時間かかる分を1時間半の授業でこなし、家に帰ってからも予習主体の勉強する。集中力があるからまだやっていないところを自力である程度理解して予習することができるし、自分で勉強すれば疑問は次々にわいてくるものだ。予習してわからないところを塾で質問して理解は格段に深くなる。このようにして勉強のスタイルも学習の生産性もまるで違ってくる。もちろん、数学や他の科目の成績にも大きく影響することはいうまでもない。

 計算よりも重要なものがある。「読み書きそろばん」というから、基礎計算力よりも「読む力」と「書く力」の方が重要だということだ。「話す、聞く」という言葉は「読み書きそろばん」の中にはない。文部科学省は日本語ではなく英語の「話し、聞く」力を育てるために来年度から小学校で英語を必修化するという。
 子どもたちの日本語の語彙力が落ち、国語教育が危機に瀕している。次は日本語能力の問題を採り上げよう。
 算数の文章題は日本語の読解能力が決め手である。文章題の問題文を読めない子どもたちがなぜ増えているのその一端がわかるだろう。 


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