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石原裕次郎23回忌 国立競技場に総持寺再現 [A8. つれづれなるままに…]

石原裕次郎23回忌 国立競技場に総持寺再現

 石原裕次郎の23回忌だそうだ。国立競技場に総持寺を再現してご本尊を迎えて法要を営むという。裕次郎のお墓は総持寺にある(総持寺を検索すればあるサイトから裕次郎の墓参りができる)。総持寺にとっては宣伝塔の役割を果たしているので大事な檀家の一人だろう。

 さて、総持寺といえば横浜鶴見区に本山がある。根室の開放寺もその末寺である。
 曹洞宗は鎌倉仏教の一つで道元が開祖で総本山は永平寺である。総持寺は永平寺とは別系列のようで曹洞宗のもうひとつの「総本山」だ。
 もともと石川県に在ったが明治期に消失し、現在地へ移転した。15000もの末寺をもつようになったのは横浜移転の効果だろうか。
 宗教もビジネスと同じ側面がある。拡大に継ぐ拡大をしていく時期があり、宣伝・広告戦略に巧みな宗派がその勢力を急激に伸ばす。総持寺は伝統的に宣伝・広告の巧みな「総本山」でもあるようだ。永平寺はそうした宣伝や拡張戦略とは無縁のところにある。良寛が道元を慕ったのもゆえないことではない。
 道元禅師を唯一の開祖としてのでは、曹洞宗の「総本山」を名乗ることはできない。総持寺のホームページは開祖について次ぎのように説明している。

 お釈迦さまの教えを日本に伝えられ、永平寺を開かれた道元禅師を「高祖」(こうそ)とあがめ、總持寺を開き、教えを全国に広められた瑩山禅師を「太祖」(たいそ)と仰ぎ、このお二人の祖師を「両祖」と呼び、この三師を「一仏両祖」としてお祀りしお慕い申し上げ、信仰のまことをささげています。

 道元が京都五山を離れて石川県の山中に寺を開き、戒律を定めひたすら厳しい修業を課したのは、達磨大師直系の弟子として禅の修業の重要性を身をもって体得していたからではないだろうか。
 宋に行き、如浄から釈迦正伝の仏教を伝えられた道元は、正伝の仏教の伝道者であることを誇りに思っている。難解な仏教も、悟りも、ひたすら修業すればしたぶんだけ悟りは拓けると語るが、私には極北に輝く北斗七星に見える。
 道元の大著『正法眼蔵』は私には読んでもさっぱりわからない書物だが、繰り返し読んだ年長の直弟子玄奘が書いた『正法眼蔵随聞記』から、その思想と修業の一端は理解できる。厳しい、実に厳しいの一言に尽きる。只管打座、ひたすら座り続けること、そして日常生活そのものが渾身の修業になるのが禅だ。
 お釈迦様は南伝の原始仏教経典であれほどわかりやすい言葉と喩えで衆生に語りかけられたのに、達磨直系の道元はおそらく日本語のテクストとしては類を見ないほどに難解な日本語で『正法眼蔵』を書いている。私が漢籍にまるっきり素養のないことも理解の障碍となっているが、一言一句に込められた含蓄が大きすぎる。禅の修業なしには理解不能なのだろう。

 良寛は雪深い新潟の山中の庵で道元を憧憬しながら暮らし続けた。良寛の時代に道元が現れたとしたらそうするであろうという思いで山中に庵の生活を営んだのかもしれない。冬の間は数メートルも雪が積もり人の行き来も途絶える山中で、たった一人暮らす孤独感は尋常なものではなかっただろう。布施を受けても蓄えはしない、最低限の粗末な生活。火が消えると暖かさが残っている灰の中に足を入れて寝ることもあったと何かに書いてあった。良寛が俳句や狂歌や子供たちと遊ぶ逸話の中にみせる類稀なやさしさや、人々を癒す心は道元の厳しい戒律や修業とどこかで通底するところがあるのだろう。その書も人柄を表して実にたおやかでやさしい顔を見せる。
 わたしはあるデパートで大判の古本を見つけた。良寛の書を写し取ったものだった。どこかへ行く途中だったので後で買おうと思いつつ、その日はうっかり忘れてしまった。数日たって思い出したが、古書展は終わっていた。2~3万円の本だった、大きかったので持ち歩くことをためらってしまった。本は目にしたときに買わなければいけない。目にしたこと事態が一つの「縁」である。そういう微妙な縁を大切にしなかった罰である。大失敗だった。
 ところで、辞世の句がつとに有名であるので紹介しておこう。
  「散る桜 残る桜も 散る桜」
    (ちるさくら のこるさくらも ちるさくら)


 永平寺のあり方と総持寺のそれには大きな隔たりを感じる。たとえて言えば、ニッカウィスキーとサントリーウィスキーだ。わかるかな?ふざけているわけではない。わが根室の開放寺も人口減少の中で10年ほど前の実に豪華で大きなお寺を建て替えた。10億円かかったとも噂されている。派手で立派だ。さすが、総持寺の末寺である。その豪華壮大さは根室のお寺ではダントツに一番である。

 国立競技場に総持寺を再現するのに石原プロはどれほどのお金をかけたのか。総持寺はご本尊を国立競技場にもって来ることを認めているようだが、永平寺なら考えられない。

 競技場に再現された実物大の「総持寺」は23回忌が終わると取り壊される。使われた資材はゴミになるのだろうか。地球温暖化にどう対処するか、二酸化炭素の削減幅を15%にするとかしないとか世はかまびすしいというのに。

 わが根室の原野にもすでにキリギリスが鳴いている。生徒によれば夏には明治公園で蝉が鳴くという。どれも四十数年前には根室半島には棲んでいなかった昆虫である。

 そういう時代状況の中で、朝のテレビで国立競技場に豪華な総持寺を再現する工事の中継を見ながら、ただ、ただア然としてしまった。

 23回忌は総持寺と石原プロダクションの共同企画イベントである。国民的大スターであった裕次郎もたしかに派手だった。しかし彼の派手さには裏側に他人に対する深い思いやりが溢れていたのではないだろうか。そういう逸話には事欠かない人だったようだ。派手なだけで大スターにはなれない。派手さだけが目立つ兄の慎太郎とはそこが違っていた。他人へ深い思いやりをもてたように、地球環境にもやさしい思いやりをもてるスターだったと信じたい。そういう裕次郎がド派手なイベント“23回忌”を泉下で喜んでいるだろうか?あれだけの物を作ってすぐに壊す。
 笑って一言、「しようのない奴らだ」と手を振っているのか、それとも苦りきった顔で「・・・」と言ったのか。あなたにはどう聞こえただろう?
 
*道元 wikipediaより
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%85%83

*総持寺ホームページ
  
http://sojiji.jp/honzan/sotoshu.html

*良寛 wikipediaより
  
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%AF%9B

 2009年7月3日 ebisu-blog#636
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コメント 4

たっぽん

同感。

なんとも困った人達です。

僕はこのイベントによって、生前の裕次郎の真の人格をも歪曲させ、もっていたはずの品格を落としてしまったような気がしてなりません。

by たっぽん (2009-07-07 01:42) 

クラブナビ

今ひとつの禅宗である臨済宗と対比すると
より曹洞宗の特徴が浮かび上がっくると思います

また、曹洞宗は派閥を持たない宗派であることも
非常に特徴的です

なぜ浄土系の盛んなあの北陸へ疎開したのかが不思議です
権力との関係を避けたいとしながらも
やはり京のそばを離れることをせず・・・
いや、できなかったのではないかと思います

鎌倉仏教の開祖はどれも天台宗から生まれたと聞きます
密教の影響を強く受けたことでしょう
京都は日本の中心であり
世界の中心であると考えたのかもしれません

by クラブナビ (2009-07-08 18:44) 

ebisu

一休さんこと、一休宗純は臨済宗、乞われて大徳寺の住職だったこともある。
良寛さんは道元への憧憬を隠さない。曹洞宗は只管打座あるのみ。
どちらも好きなお坊様である。それがたまたま、臨済宗と曹洞宗。でもこれ以上のコメントができないので、クラブナビさんの教えを乞いたい。

わたしにはお人柄の違いくらいしかわかりませんが、その曹洞宗から総持寺のようなお寺の出ることが理解を超えています。
ひたすら座禅することを求める曹洞宗が、なぜあのようなイベントに手を貸すのか、総持寺が曹洞宗でなければ、ああそうかと納得がいくのでしょう。
石原裕次郎のお人柄からいっても、あのような浪費ともいえる派手な23回忌はイメージできない。

23時間ほど前にマイケルジャクソンの追悼コンサートが開かれた。そこに壮大な建物はなくて、人の和があった。

by ebisu (2009-07-09 01:28) 

クラブナビ

北海道は日本海ルートが多いので,浄土真宗が多い土地です。並んで曹洞宗も多いですね。

教えを乞うなどと,MOTTAINAIお言葉です。
禅問答が有るか無いかという違いしか分かりません(笑)
道元はまさに問答無用であったのでしょう。
いや,問答すら許さなかったのか。

調べてみると,派閥のようなものもあるようですが,
http://www.yudokai.com/index.html
実際はどうなのでしょう?

公式サイトはたまに見ていたのですが
http://www.sotozen-net.or.jp/
この本山と名乗る二つの寺を比較するとまるで毛色が違います。
駒沢系以外にも経営する学校法人があったとは驚きました。
鶴見の方は,釈迦以外の仏像を多数備えているという点でもも驚きました。
禅宗の念仏は「南無釈迦牟尼仏」じゃなかったのか?と。

会社で言うと二つのお寺は,営業部と研修部という関係のように感じます。

まぁなんでも良いですから,
庶民の心の拠り所として,お寺さんにはしっかりと人の道しるべをしてに欲しいと思います。
by クラブナビ (2009-07-09 10:59) 

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