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先生!社会の勉強のどうやったらいいの? [62. 授業風景]

先生!社会の勉強どうやったらいいの?

 2月4日は中学1・2年生の学力テストがある。どうやればいいのかさっぱりわからないと中1の生徒から相談があった。昨日(1/31)のことである。英語の授業をやめて社会の授業に切り替える。

S:「先生、こまった、どうすればいい?」
T:「こまったね」
・・・
T:「ところで試験範囲は?」
S:「ちょっとまって、プリント見るから・・・中世から千利休までだって」
T:「鎌倉時代から戦国時代、秀吉までだね。なにがわからないの?」
S:「なにがなんだかさっぱりわからないの、社会が一番苦手だよ」
T:「書いてみた?」
S:「なにをどう書けばいいのか分からないもの」
T:「鎌倉幕府はいつできたの?」
S:「・・・」
T:「いいくにつくろう、鎌倉幕府、知ってるかな?1192年だからイイクニだよ」
S:「それ聞いたことある」
T:「じゃあ、図にしてみよう。A3の用紙を2枚あげるから、真ん中に大きめの字で、平安時代⇒鎌倉時代⇒室町時代⇒戦国時代⇒江戸時代って帯状に書いてくれるかな」
S:「できたよ先生」
T:「こんどは各時代のところに始まった年を書いてみて。そう、時代名を四角で囲ってその上のほうに書いておこう。絵に近くなるほど記憶しやすくなる。慣れたら自分の趣味で色分けして描くのも楽しいよ」

(勉強ってほんとうは遊びと区別なんてつけられないものなんだ。勉強と遊びに区別なんかない。極めれば同じものであることにだれでも気がつくことができる。遊びも勉強もつねに新しい発見があって楽しいものだ。半端にやっている人はそのことに気がつけない。余計なことは考えずに、無心に「歴史のお絵かき」をしてごらん、きっと気がつくよ。)

 平安時代は桓武天皇の平安遷都がスタートだから、794年から鎌倉幕府樹立の1192までだ。電卓貸してあげるから計算してみて。何年あったかな?そう398年間だ。丸めると400年あるんだ。

 藤原鎌足に始まる摂関政治のほころびが広がって、平清盛が出てくる。武士が政治の実権を持ち始めるが、平氏は次第に公家化し始める。そこへ源頼朝、義経を担いで東国武士団が一致団結し始め、ついに壇ノ浦で平家を滅亡に追い込む。北条氏の執権政治は大事なポイントだから押さえておいて。
 神戸は清盛が開いた貿易港なんだ。清盛の時代は福原と言った。清盛はそこに都をもっていくつもりだった。
 鎌倉時代の始まりは分かっただろう。じゃあ、滅亡はいつだ?1333年だよ。この頃、卜部(ウラベ)兼好の『徒然草』が成立している。とっても読みやすいから、ほれ、そこの本棚にあるよ、読みたくなったら貸してあげるから読んでごらん。
 ついでにもう一人取り上げよう。一休さんだ。後小松天皇のご落胤である一休宗純はこの時代の変わり目の後、室町時代に生まれている。1394年に生まれて1482年に亡くなった(後小松天皇のご落胤といわれ、住んでいた酬恩庵で亡くなっているが、その酬恩庵は宮内庁から陵墓に指定されていて、一般人の立ち入りは禁止されている)。なに、知らない?とんちの一休さんを知らないのか、時代が違うな。お母さんに訊いてごらん、昔、アニメで見たって言うよ。絵本があるかもしれない。
 鎌倉時代はイイクニつくろうから1333年だから、また引き算してくれる?141年か、じゃあ、そこに記入しておいて。ついでにいうと、『平家物語』は平家が滅びた後のことだから、鎌倉時代に書かれたものだ。比較のために挙げると、紫式部の『源氏物語』と清少納言の『枕草子』は知っているだろう?この二つは平安時代の作品で、だいたい1000年頃に書かれている。これより百年後の平安末期に歌人の西行が出てくる。元々は北面の武士だ。これもそれぞれ適当な場所に書き、丸で囲って線で結び付けておいて。

 鎌倉幕府の滅亡は元寇と後醍醐天皇のクーデターが引き金になった。元寇は2度、北条時宗のときに起きた。台風があり、船にいた元軍は全滅した。海岸は蚊がひどくて元軍は夜になると船に退避していたんだ。そこへ突然台風が襲った。元軍は全滅さ。戦には勝ったが、御家人に与える恩賞=土地がない。困った幕府は徳政令を出したりして御家人を救ったが、それが経済を混乱に陥れた。バブル崩壊後の日本も似たようなことが起きた。銀行は大企業に数千億円単位の借金棒引きを認めたんだ、全体で50兆円以上の借金が棒引きされた。だから徳政令は過去の問題ではないんだ。

 話しを元に戻すとクーデターを企てた後醍醐天皇は配流(隠岐へ島流し)にあう。鎌倉幕府が滅亡し、足利尊氏が勝利を収めて室町幕府を樹立する。この時代天皇家は南朝と北朝に分かれて戦いが続いた。交代で相互に天皇を出すことで決着がついたんだが、すぐにそれは反故にされた。南北朝の戦いは『太平記』に詳しい。新田義貞、楠正成という武将は記憶しておこう。現在の天皇は北朝側の末裔だ。戦前は皇国史観という歴史観が支配的で「万世一系」なんてフィクションを事実であるかのように学校で教えたんだが、この南北朝の抗争の歴史は都合が悪かっただろう。南朝の末裔が天皇であってもいいわけだから。

 鎌倉時代で大事な事がいくつかある。①政治体制(問注所・政所・守護・地頭、評定衆など)②鎌倉仏教、③元寇、④農業技術(二毛作)の発達、次々時代を書いた下に書いていって。

 鎌倉仏教は平安仏教と対比して覚えるといい。まず、平安仏教を二つ書いてみて。弘法大師空海の真言宗と最澄の天台宗だ。最澄はいわば国費留学生だが、空海は私度僧だ。空海が唐の都長安に行き、青龍寺へ行くと恵果和尚が「あなたの来るのを待っていました」と言って、真言密教の秘儀をすべて伝えて、亡くなる。これが806年のことだ。空海の書は見事なもので、字というよりも絵に近い文字もある。空海直筆というある山門にかかっている額の写真を本で見たことがあるが、あれはもう字ではない、絵だった。青龍寺で両手両足に筆を4本持ち、口にもう一本くわえて同時に5つの文字を書いて見せたというんだ。恵果和尚との出会いも何人かが小説に書いている。真言密教の伝法灌頂と最澄が空海の下へ派遣した弟子をめぐる二人の確執も人間くさくていい(司馬遼太郎著『空海の風景〈上〉〈下〉』、稲垣真美著『空海』が面白い)。興味がわいたら、そのうちに話してあげよう。このふたつを、平安時代の下に書くんだ。それを丸で囲んでおこう。そして鎌倉仏教を鎌倉時代の下に書く。禅宗は二つ、臨済宗(栄西)と曹洞宗(道元)だ。道元は御釈迦さんから達磨大師をへて、代々教えを受け継いだ直系の人だ。そのことについてはまた話す機会があるだろう。道元の書いた『正法眼蔵』は先生の蔵書で一番難しい本だ。何度読んでもさっぱり判った気がしない(しようがないから道元の直弟子・懐奘の書いた『正法眼蔵随聞記』という本を読んだ。これはよほどやさしい)。他に、時宗(一遍)、浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、日蓮宗(日蓮)などが鎌倉仏教として代表的なものだ。これも丸で囲ってみよう。関係があるから平安仏教と線でつないで見たらいいよ。

 政治体制については、鎌倉幕府と室町幕府は武家政権だから共通のことが多い。御家人の評定衆というのを加えておいて。守護と地頭も同じだ。問注所(裁判所)も変わらない。室町時代は8代将軍義政のときに応仁の乱(1470年)がおこり、有力守護大名の細川と山名が争い、終わりを告げる。そこから戦国時代が始まるんだ。1470-1333はいくつ?137年か、書いておいて。おおよそ140年だ。
S:「先生、歴史で電卓なんて使ったの初めてだよ」
T:「学校の先生だって使っていけないとは言わないだろう?地理でやった時差も数学的な計算だったろう?社会科は空間的距離や時間的距離が大切なんだ。」

 室町時代で大事なのは初代尊氏と三代義満だ。義満は芸術を深く理解した文人だった。金閣寺は彼が造らせた(では、銀閣寺はだれ?調べて書いておいて)。そして能で有名な世阿弥のパトロンとなり、能はこの時代に完成の域にまで洗練される。世阿弥の『風姿花伝』はいまでも世界最高峰の芸術論のひとつだ。昨年の中3は音読トレーニングで原文と林望の現代語訳の両方を読んでいる。一緒に読んであげるから、人生壁にぶち当たったときに読むといい。いい本は読むたびに奥が広がっていくものだ。

 戦国時代になり織田信長が出てくる。安土城下に商人を集めて自由に商売をさせた。楽市楽座という。関所も撤廃したんだ。これで商人が大喜びだ。信長は武士団を土地から切り離して城下町へ集めた。信長治世下で武士はサラリーマンとなったわけだ。ポルトガルから鉄砲が入ってきたことになっているが、ポルトガル製ではあったが、持ってきたのは中国人の「倭寇」(密貿易商)の王直*だ。翌年、売りに来て見ると刀鍛冶が鉄砲を造ってしまっていた。金属に関する技術、刃物に関する技術は当時も今も世界最高水準なんだ。時代は飛ぶが東大寺の奈良の大仏は銅でできている。銅であんなに巨大なものは今の鋳造技術でもできないらしい。749年に3年かけて完成したんだ。金属加工では1300年も前から日本は世界一だった。

 ところで、天正10年6月2日(1582年)信長は本能寺で明智光秀に殺され安土城は炎上する。その後、秀吉が光秀を打ち、天下を統一する。太閤検地や刀狩を覚えておくといい、これで兵農分離が完成すると同時に士農工商に身分制度が固定化するんだ。
 元々武士と農民は同じものだった。一所懸命といって、自分の土地(一所)を命がけで守った、つまり、農民が自衛のために武装したのが武士の始まりだった。
 秀吉は中国を攻めて、中国の王になるつもりだった。国内の平定が終わると、武士は仕事がなくなる。それで失業対策もかねて朝鮮出兵を実施したんだ(米国がベトナムで戦争したりイラクで戦争したり、今度はオバマ大統領はアフガンと言っているが、戦争は経済的には理由のあることなんだ)。ところが朝鮮出兵で豊臣家臣団に亀裂が生ずる。そこに家康がつけいる。そして秀吉が死に、関が原の戦いと大坂の冬の陣と夏の陣(1615年)があり豊臣家は滅亡し徳川家康が江戸に幕府を開く。

 こういうことを、時代区分を書いたA3の大きい用紙の上下に書き込んでいく。書ききれないときは番号をつけてタイトルだけを書いておく。もう一枚の紙に同じ番号とタイトルをつけて詳しい内容を書き足していくんだ。
 おお、だいぶできたね、立派なものだ。じゃあ、この電卓を使って各時代が何年続いたのかもう一度計算しながら記入していこう。あ、書いてあるところは再計算してみよう。
 平安時代が400年、鎌倉時代はだいたい150年だね、室町時代は140年だ。豊臣政権は1582年から1615年の33年間だ。徳川は250年間続いた。
 いいかい、流れとおおよその年数を覚えておくといい。目をつぶって自分の書いた図を思い浮かべることができればもっといい。それができたら紙をもってきて、書いてみるんだ。書けないところはどこかチェックして何度か繰り返すと、図が頭に浮かぶようになる。そうなったら、社会は90点以下の点数をとれなくなるんだ。
S:「先生、なんだか頭が破裂しそう」
T:「いいんだ、一回破裂するといくらでも入るようになるから、ボン!」
S:「びっくりした、驚かさないでよ」

 大事なことは3~5つくらいに分けて覚えるといい。それ以上ある場合にはさらにそれを3つくらいに分けてみる。3×3で9分類できる。分けてグループ化して覚えていくというのは他の科目でも使えるんだ。
 だいぶできたね。教科書見ながら太字で書いてある項目は全部この紙に記入してみること。学力テストが終わった後も学年末テストに備えて続けてやってみよう。来週月曜日書き足した図をもっておいで、みてあげるから。
S:「明日日曜日だけど授業参観あるからそのあとでやってみる。じゃあ先生月曜日くるから」
T:「いいよ、月曜日、4時ね」 

 江戸時代の末期は将軍が短期で頻繁に交代した。時代の変わり目特有の症状かもしれない。自民党総裁も小泉以後は安倍・福田・麻生と寿命が短くなっている。なにやら江戸末期と似た症状を呈しているような気がするのだが・・・

*『逆説の日本史〈9〉戦国野望編』119㌻参照、井沢元彦、小学館、2001年12月発行
  2009年2月1日 ebisu-blog#514
  総閲覧数:72,176 /432 days(2月1日16時00

 
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