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#20 ふるさとニムオロ&総閲覧数1000: 2,007年12月11日 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

2,007年12月11日   ebisu-blog#020

お陰さまで、本日22時30分をもちまして、総閲覧数980となりました。
ブログを始めて15日目、明日には1000を超えそうです。
まさか、こんなにたくさんの人びとに見ていただけるとは思いませんでした。
勝手なつぶやき、ストレス発散、公憤などなど、ときどき文がまとまらずに長くなって申し訳ありません。とにかく、このブログを見てくれている人々に感謝申し上げます。

 利根川や多摩川に鮭が溯上しているようですが、わたくしもふるさとの川?に戻って5年たちます。
高校を卒業して東京へ行ったときに、将来、根室は中標津に追い越される日が来るかもしれないな、そのような漠然とした予感がありました。現実にならないことを願うばかりです。
 40年前に較べると町全体から活気が失われています。とくに飲食店街と緑町商店街の凋落がひどい。昔は、緑町の交差点付近は買い物客で溢れていました。山田豆腐店の出来立てのがんもどき焼き豆腐はおいしかった。山一商店の斜め向かいにありました。川原商店やすやす屋も人で溢れていました。当時は45,000も人口がありました。今人口は31,000人です。町の縮小はいかんともしがたい。
 けれども40年前に較べると活気に満ち満ちているところもあります。
 歯舞組合もその一つですね。ここは元気がある。アイデアがありそれを実行に移す活力がある。
バンドの多いことも昔とは違います。
 和太鼓が盛んになりました。昔はお祭りの先太鼓が花形でした。いまは根室太鼓など和太鼓のグループがいくつもあるようです。佐藤さん、がんばっていますね。応援しています。和太鼓の響きは素晴らしい。お祭りの太鼓の響きは郷愁を誘います。根室から離れて、お祭りの太鼓を聴くたびに、ふる里根室を懐かしく思う人が東京にも、大阪にも・・・たぶん、日本中にいます。
 ぎりぎりの成績にも関わらず、高校入試直前の1月に、旭川まで3日間の和太鼓合宿に行ったK.Aさんも、もう根高を卒業して2年たちますね。あのときは迷わず合宿に行った。わたしはひやひやでした。でも、若い人が後先を度外視してがんばる姿にドキドキもしていました。元気にしているかな。あなたたちが最初の生徒でした

【変わらずに残っているものと失われしもの】
大型の喫茶店「カッコー」はなくなりましたが、「かおり」は残っています。
戦後かな?戦中かな?
幼稚園の同級生のおばあさんが始めたようですが、根室初の喫茶店ではないでしょうか。
今でも健在です。同級生のお姉さんが経営しています。同級生は神奈川県厚木市で喫茶店を経営していると聞きました。
古く懐かしいものがしっかり新しい時代に残っているのはうれしいものです
50年前には本町の海岸には石組みの突堤がありました。貸しボートがありました。なんども乗ったことがあります。弁天島まですぐでした。
石でつくられた突堤には螺が石にびっしりついており、その辺りにはウニがたくさんいました。
今時分の季節には、百人(多いときには300人)を超える人が釣り糸を垂れて、突堤近くの岸壁でチカ釣りを楽しんでいました
水はきれいで、チカはうようよとってもきれいな好い海でした
数千匹のチカがうようよしている中に釣り糸を垂れるのですから、釣果は抜群。
誰もが百匹、二百匹と釣っていました。入れ食いでしたね。
東京で一度誘われて茨城県の大きな川で釣りをしたことがあります。
2時間ほど釣り糸を垂れて、一匹も連れませんでした。
それ以来、釣りをしたことがありません。
 私の高校の担任の先生は、事情があって定年前に職を辞して東京の実家のほうへ引っ越しました。
80才を過ぎた今でも言ってます
東梅にカレイ釣りの好いポイントがあるんだ。入れ食いだよ、50CC のバイクに乗ってよく釣りに行ったものだ。なつかしいな。またあそこで釣りをしてみたいな
東京でクラス会がある都度そう言って、懐かしがります

わがまち、わがふる里、根室=ニムオロです。
こうした想いも“ニムオロ塾”のネーミングに籠っています。 


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